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2009年06月14日

ウェットな液体社会日本のドライ・気体な人たち

ウェット、液体的な日本社会で自分のことをドライ、気体的であると認識する人には3種類あるように思われる。

1つめは、本当は、ウェット、液体的な日本的集団に正規で入社したいのだけれど、入れて貰えない非正規社員、職員の人たちである。

集団に門前払いされて入れて貰えず、一人孤立して疎外感を味わっている人たちとか、所属している/していた集団から落ちこぼれたり脱落して一人ぼっちになった人たちが、自分のことをドライで気体分子のような境遇に置かれていると感じて、ドライ、気体の方を選んでいると考えられる。ウェットな社会では、疎外感の強さが、ドライ、気体性と関連があると考えられる。この1つめは、「疎外感」タイプと呼べる。

2つめは、本当の自分はウェット、液体的かもしれないんだけれど、ドライ、気体の方が何となく先進的で格好いいので、見栄を張る形で無意識のうちにドライ、気体を選択するというものである。この2つめは「格好付け」タイプと呼べる。

3つめは、ウェットで液体的な社会や集団の中で周囲への同調の強制、行動の制限を受けていて、自由が無い、自分が自立していないというか、絶えず互いに足を引っ張り合う囚われの存在であると自分のことを実感して、個人が自立していて自由なドライで気体タイプがうらやましく、憧れる。

そのため、何をするにも独自の自己主張が必要で、行動の結果について厳しく自己責任が問われ、自分のことは自分で何でも助けないといけないといったドライ、気体タイプの負の側面には目をつぶり、無意識の願望のうちにドライな方が自分に合っている、ひいては自分はドライだと思いこむのである。この3つめは、「囚人」タイプと呼べる。

この囚人タイプについては、例えば匿名掲示板の利用者のように、ネット上で現実社会のしがらみから自由になることを望む人たちが含まれる。

以上の3種類のうち、「疎外感」タイプは、ドライ、気体的なのを好ましく思っていないのに対して、「格好付け」「囚人」タイプは、好ましく思っている、という区分けがある。

この3類型を、性格診断テストで区別できればと思っている。

日本社会の勝ち組男子は、実は負け組

日本社会において、収入や地位の面で上位を確保した、いわゆる勝ち組の男性たちは、実際のところ本当に勝ち組なのであろうか?

日本社会において勝ち上がるには、それなりに日本ムラ社会に適応、適合することが必要であるが、その際問題となるのが、ウェットな日本ムラ社会は、女性的(集団重視、相互一体感、和合の重視・・・)であり、実質母性の支配下にあるということである。

つまり日本社会で成功するには、ものの考え方を女、母に合わせないといけないということである。女流にならないと成功できない。

日本社会における勝ち組男性の人生は、往々にして男性当人の人生ではなく、その母の人生になっていることが多いのではあるまいか。一見自分の意志で動いているように見えながら、実は母の意志で動いているのではないだろうか。日本社会のシステムは、母のためのシステムなのである。

要するに日本社会で勝ち上がるには、自らの男性性(個人の自立、自由の確保・・・)を捨てて、女流になり、母の言うことを聞いてその通りに動くことが必要であり、その点、男らしさの喪失という点で負け組になってしまうのである。

これと対比して、女性は、女流の日本社会では、存在するだけで勝ち組であると言える。

100点満点指向

この国の人で、特に東京大学とかの秀才と呼ばれる人たちは、テストとかで、100点満点というか、失敗、ミスの全く無い、完全無欠なのを目指そうとする人が多いように思われる。

とにかく、正しいこと、間違いのないこと、確実なこと、失敗しないことのみを覚えたり、実行しようとするのである。

このように満点を求める傾向は、ミスを恐れてチャレンジしない退嬰性につながる。

また、自分の言っていることが正しいことを保証してくれる、より上位の権威者の存在を求めること、権威主義につながる。
あるいは、合っていることが保証された既存の定説に心理的に寄りかかり、定説以外の新説を、定説でないというそれだけの理由で一律に却下したりすることにつながる。

論文の執筆とか、学会発表とかで、決して間違えてはいけないと思って、精神的にしゃちほこばり、ぎこちなくなる。少しでも間違ったことを書いて、ミスとして指摘されることを極度に恐れるようになり、ひたすら既存の定説を自分の中にため込むばかりで、自分からは新しい論文が書けなくなる。

こうした退嬰性やミス、失敗を恐れる傾向は、何事も安全や保身第一な女性的な傾向であり、秀才の精神が女流であることの現われである。