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先生役社会と生徒役社会

日本社会は、明治維新以降、先生役の欧米から新技術、新思想の導入に忙しい状態が、今日までずっと続いている。一方、日本社会が先生役を務めるのは、欧米産の技術や思想の消化・吸収が自分たちより遅れている社会に対してのみである。

その点、日本社会は、先生役の欧米社会から、新しいことを教わる側に専ら徹する生徒役に、役割が固定している感がある。一方、欧米社会は、一貫して教える側に立っている。

このことから、教える教師、先生役をずっと務める欧米社会は「先生役社会」、ひたすら教えてもらい、その結果を消化・吸収する側に回っている日本社会は「生徒役社会」と言える。

なぜ、このような差や役割分担が生じるかと言えば、先生役の欧米社会は、生徒役の日本社会に比べて、革新的な新事実の新発見、発明を先んじてすることが、より多いからだと言える。

先生役社会の人々は、海の物とも山の物とも分からない、未知の、どんな危険や失敗が待ちかまえているか分からない「闇の領域」に、生徒役社会の人々よりも先んじて入り、いろいろ失敗を重ねながら、より先んじて新たな知見にふれることが出来る。

一方、生徒役社会の人々は、未知の領域が持つ潜在的危険を怖がり、安全、安心を得るために、既に闇でなくなり光が当たっている「光の領域」から出ようとしない。

先生役社会の人々が、未知の領域内で散々失敗し、苦労を重ねて今までにない新たな知見を得たまさにその瞬間が、「闇の領域」が「光の領域」に変わる瞬間である。

闇を光に変えて新たな知見を先に得た者が、まだ知見を知らない者に対して、先生、教師役を果たすこととなる。

その点では、闇を光に変えようとして、失敗を恐れない強い意思を持つ人々の社会が、先に闇の中で新事実、新知見に触れることができるため、先生役社会になり、闇を怖がり光の領域から出ようとしない保身に余念のない人々の社会は、新たな知見に触れるのが必然的に遅れるため、生徒役社会になるということになる。

その点、万年生徒役の日本人は、先生役の欧米人に比べて、臆病、退嬰的、女性的でベンチャー嫌いと言える。未知の領域に危険を顧みず果敢に挑戦する心意気が、先生役の社会の人々に比べ明らかに弱く、前例、しきたりを重んじる度合いが大きいのが、万年生徒役に甘んじる原因となっていると言える。

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2007年06月07日 02:05に投稿されたエントリーのページです。

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