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日本社会で個人が定位置を保つことの難しさ

この国で生活していると、その時々の流行、ブームにつられて、集団であっちフラフラ、こっちフラフラして、自分なりの定まった定位置を持ちにくい。

一人定位置をそのまま保っていると、やれ協調性がないだの、和合の精神に欠けるだの、団体の統率を乱すだの、流行に鈍感だだの、たくさん罵声が飛んでくる。それに負けないようにするのは大変である。

周囲のみんなと一緒になって、一体感を保ちつつ、その時々の流行に従って、ゾロゾロと動き回らないといけない。

中には、一見定位置を持っているように見える人たちもいる。しかし、実は、古来からの前例、しきたりとして存在する伝統をひたすら重んじて、それに盲目的に一体化してしがみついているだけだったりする(神社の神官とか)。どっしり重たく構え、一つの土地に土着する農耕民にありがちな態度である。

周囲の対象から一人離れて、客観的な立場で、冷静に、自らをコントロールし、対象を観察する、ドライな態度が、この国ではあまり認められていないような感じである。何でも、みんな一緒でないといけない。単独行動は許されない(一人になるのは、集団から不要人物として疎外されていることを示す、よくないことであるとされる。)

どちらかというと、周囲に合わせて、溶け込むこと、周囲が盛り上がっていれば、「祭りだ、ワッショイ!」と一緒になって踊り騒ぎ、周囲が沈んでいればそれに合わせて一斉に「ショボーン」となること、いついかなる時でも、周囲との一体化を維持することそれ自体が目的化している感じである。

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2007年06月19日 18:15に投稿されたエントリーのページです。

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