現代の日本社会は、格差社会であるとされる。
その格差は、規制撤廃や自由競争の結果起きたと言われ、議論が、格差をなくすためには再び規制を強化すべきという方向に向かっているように思われる。
しかし実際のところ、こうした格差は、日本社会が伝統的なままのため起きた、生じたと考えるのが正しい。
格差が生じた理由は2つあり、一つは、企業や官庁が、就職氷河期とかでやむを得ずいったんフリーターになった人を、なかなか正社員として雇わず、派遣労働者といった形で低賃金で差別雇用するところにある。
企業や官庁は、新卒や既に他の会社で正社員の経歴の長い人しか採用しない。そうした、未だに特定会社の色の付いていない新卒者のみを自社の生え抜きの社員として採用し育成しようとか、かつて正社員としてちゃんと働いていた所属身元の確かな人のみを採用しようとかいったように、学生の身分から正社員の身分へと失敗なくうまく渡ることができる、あるいはかつてできた人しか採用の対象としない、伝統的な所属重視の考えが、格差を生んでいるのである。
もう一つの格差は、大都市と地方の格差である。大都市が比較的好況で資金的に潤っているのに対して、地方は不況であり、浮上できていない。
では、地方に対して何にも対策が打たれていなかったのかというと、決してそうではなくて、大量の公共事業費が投入され、それでもなおかつ浮上できていないのである。かつ、公共事業費を投入した官庁や自治体は、投資を回収できないまま財政難に陥っている。こうした点、地方は、ひたすら公共事業費を吸い込むだけで、自ら経済発展につながるようなアウトプットをほとんど出せない「ブラックホール」と化している。
では、なぜ地方は「ブラックホール」と化して、浮上できないのか?それは、地方社会の持つ伝統的な体質に原因があると筆者は考える。
地方は、地縁、血縁といったコネが張りめぐらされた、相互監視のネットワーク社会である。皆、周囲の相手に対して強力な興味を抱いており、何かと他人に対するうわさ話が好きだったり、お節介、過干渉である。人々は、うわさになるのを気にして、自分からは積極的に動きにくい。
さらに、何事も大過なしを良しとする、減点主義の体質があり、何かやらかして失敗すると、長期に渡って陰湿なうわさ話、陰口の対象となってしまうので、率先して新しいことをすることが難しい。今までどおりのことを、周囲に合わせて行う、前例、しきたりで動く社会となる。
また、妬みの精神が横行しており、誰かが何かプラスのことをして成功すると、何かと妬まれ、やっかみを持たれて、足を引っ張られてしまう。
また、自分からは何もしない、考えない、受け身の体質があり、お上(官庁)が何とかしてくれるという「お上頼み」の考え方が根強くある。官庁に依存し、たかり、甘えて、かつ自分からは、吸い取るばかりで、何かを積極的に提供しようとする考えが薄い。
地方が浮上するためには、社会が、東京、大阪のような匿名性を持つことが必要なのではないだろうか。ふだんは放っておいてくれ、干渉しない気楽さと、噂を気にせず、自由に積極的に動くことができる社会環境を、地方に生み出すことが、地方が「ブラックホール」状態から抜け出すのに必要なのではなかろうか。