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2007年12月 アーカイブ

2007年12月14日

欧米は格上、一流だ、格付け主体だ

日本では、日本人の学者の上げた成果が、欧米メディアや学術誌に取り上げられると、大喜びして、その学者のことを持ち上げる。

この場合、欧米メディア、学術誌が、日本人の学術的成果の格付け機関として機能しているのである。欧米メディア、学術誌に取り上げられた論文が一流だという考え方が根強い。

このことは、日本国内には、新規の内容の学術論文とかを自前で評価する格付け能力、機能が無いか、あっても学閥とか学界内部の抗争、主導権争いとかの影響でほとんど機能していないことを示しているのではないか?

日本の学界内部には、自分たちの書いた論文について、世界に通用するような格付け方法、ノウハウが無いように思われる。自分たちには判断能力がないのだ。

もう一つの問題は、この国の人たちの、何事に付けて欧米に認められると一流だと考えたがる癖である。欧米が一流、格上で、自分たちはそれより一段下がると見なすため、欧米の理論をやたらとありがたがる。

日本人の学者には、欧米産の格上の理論は、同じ格上の欧米人が批判するのはよいが、自分と同じ格下レベルの他の日本人が批判したり、それらを超える理論を提唱するのは、格下の者が格上の者を批判する、乗り越える越権行為であり、けしからん、許せないと考えて潰そうとする人が多いのではないか。

この、妙な劣等感、格下意識が、日本人を自ら萎縮させ、欧米理論を批判し覆す新規理論の導出とか、独自の格付け尺度の開発とか、欧米の評価によらず、自分たちできちんと評価できるようにする試みから遠ざけているという感じである。

2007年12月15日

自分からは変われない

日本の人たちは、現状の日本社会の相互監視の網の息苦しさ、相互牽制の煩わしさの中で、現状に不満を抱き、現状が変わってくれないかと思っている。

しかし、それと同時に、現状の、一定の一体感や和合が保たれた社会の中で、自分からはそうした一体感や和を乱す形で行動を起こしたくない、変に目立ちたくないと思っており、受動的、退嬰的な雰囲気の中で生活している。つまり、この国の人は、閉塞した社会の現状には変わってほしいが、自分からは変えられない、変えようと行動を起こす契機に欠けているのだ。

そうしたところに、既存の秩序をそっちのけで社会を大きく変えようとする変革者が現れると、「この人なら自分の現状を変えてくれる」と思い、大いに歓迎して、その後を付いていこうとする。

例えば、「日本社会を改革する」というスローガンで立ち上がった、どちらかと言えば変人でマイナーだった小泉前首相が社会的に大きなブームを引き起こしたのがこれに当たる。社会をどう変えるかの目標はさておいて、社会が現状から変わってくれること自体に期待を寄せたのである。

この国の人たちの「社会や自分を変えたいけど自分からは変われない」思いを、ちょうどよいタイミングで代弁してくれたのが小泉前首相だった訳である。

自分からは動かず、誰か動いてくれる人の登場を待って、その人をだしに使って状況を変えてもらおうとするのがこの国の人たちの常套手段である。要するに、何事にも「待機的」なのである。

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