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欧米は格上、一流だ、格付け主体だ

日本では、日本人の学者の上げた成果が、欧米メディアや学術誌に取り上げられると、大喜びして、その学者のことを持ち上げる。

この場合、欧米メディア、学術誌が、日本人の学術的成果の格付け機関として機能しているのである。欧米メディア、学術誌に取り上げられた論文が一流だという考え方が根強い。

このことは、日本国内には、新規の内容の学術論文とかを自前で評価する格付け能力、機能が無いか、あっても学閥とか学界内部の抗争、主導権争いとかの影響でほとんど機能していないことを示しているのではないか?

日本の学界内部には、自分たちの書いた論文について、世界に通用するような格付け方法、ノウハウが無いように思われる。自分たちには判断能力がないのだ。

もう一つの問題は、この国の人たちの、何事に付けて欧米に認められると一流だと考えたがる癖である。欧米が一流、格上で、自分たちはそれより一段下がると見なすため、欧米の理論をやたらとありがたがる。

日本人の学者には、欧米産の格上の理論は、同じ格上の欧米人が批判するのはよいが、自分と同じ格下レベルの他の日本人が批判したり、それらを超える理論を提唱するのは、格下の者が格上の者を批判する、乗り越える越権行為であり、けしからん、許せないと考えて潰そうとする人が多いのではないか。

この、妙な劣等感、格下意識が、日本人を自ら萎縮させ、欧米理論を批判し覆す新規理論の導出とか、独自の格付け尺度の開発とか、欧米の評価によらず、自分たちできちんと評価できるようにする試みから遠ざけているという感じである。

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2007年12月14日 02:27に投稿されたエントリーのページです。

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