日本の人たちは、現状の日本社会の相互監視の網の息苦しさ、相互牽制の煩わしさの中で、現状に不満を抱き、現状が変わってくれないかと思っている。
しかし、それと同時に、現状の、一定の一体感や和合が保たれた社会の中で、自分からはそうした一体感や和を乱す形で行動を起こしたくない、変に目立ちたくないと思っており、受動的、退嬰的な雰囲気の中で生活している。つまり、この国の人は、閉塞した社会の現状には変わってほしいが、自分からは変えられない、変えようと行動を起こす契機に欠けているのだ。
そうしたところに、既存の秩序をそっちのけで社会を大きく変えようとする変革者が現れると、「この人なら自分の現状を変えてくれる」と思い、大いに歓迎して、その後を付いていこうとする。
例えば、「日本社会を改革する」というスローガンで立ち上がった、どちらかと言えば変人でマイナーだった小泉前首相が社会的に大きなブームを引き起こしたのがこれに当たる。社会をどう変えるかの目標はさておいて、社会が現状から変わってくれること自体に期待を寄せたのである。
この国の人たちの「社会や自分を変えたいけど自分からは変われない」思いを、ちょうどよいタイミングで代弁してくれたのが小泉前首相だった訳である。
自分からは動かず、誰か動いてくれる人の登場を待って、その人をだしに使って状況を変えてもらおうとするのがこの国の人たちの常套手段である。要するに、何事にも「待機的」なのである。