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2008年03月 アーカイブ

2008年03月09日

先進的な欧米に劣等感、従属感を抱き続ける日本人

なぜ、日本人は、欧米人の言うことを一方的にハイハイと聞いてしまうのか?なぜ、欧米人を超えられないのか?

その理由は、欧米人に、いつも、たいてい自分より先んじられる、先を越される、先に進まれるからである。日本人は、自分たちは、相対的に遅れ、無能であることを思い知らされるため、恒常的に欧米人に対して劣等感を抱くようになる。

その結果、日本人は、欧米を優位者と見なし、欧米の言うことをハイハイ聞く、欧米にひたすら従おうとすることになる。

欧米に対して従順になることは、欧米のことを、自分たちが超えられない「先生」として扱い、ひたすらその後を追い、崇拝し、模倣する=デッドコピーする現象をもたらす。

一方では、そうした欧米を支配者と見なし、欧米文化を否定し、自分たちのしきたり、伝統に回帰する動きを取る場合もあるが、その結果、欧米に対してますます遅れることになる。

では、なぜ、欧米に対して恒常的に遅れる、後進的となるのか?その理由は、日本人がとかく安全、保身第一で、自分から前例のない冒険、探検を行うのを嫌うからである。その結果、進んで未知の新しい試みに失敗覚悟でどんどんチャレンジする欧米が、絶えず先行することになる。

この、欧米人と日本人の関係は、より広くは、男性と女性、ドライな人とウェットな人との関係で成り立つ。

すなわち、新しい試みによりよくチャレンジするドライな人、男性が、失敗や危険な目に会いながらも、結果としてより先進的な地位を確保することになり、それに対して、保身、安全第一でチャレンジを回避するウェットな人、女性がより後進的で遅れることになる。その結果、ウェットな人、女性は、ドライな人、男性に対して、劣等感を抱いたり、従属的になったりするものと考えられる。

2008年03月31日

集団本位の個人情報保護

現在の日本では、住所、氏名等の個人の情報がネットとかに流出するのを防ぐ法案が施行され、個人情報の保護が声高に叫ばれている。

しかし、実際のところ、日本におけるこうした法案は、個々人のプライバシーを守るために作られたものではないのである。

ではなぜ、作られたのかといえば、個人のプライバシーではなく、各個人が属する「集団」プライバシー保護のためである。
この場合、「集団」とは、家庭、家族であったり、学校、会社、役所であったり、地域村落であったりする。

日本の伝統的な組織や集団においては、集団の成員は、互いに強い心理的一体感と絆で結ばれることを望ましいとしている。
そこでは、集団の成員である各個人は、集団の他のメンバーに対して、なるべく隠し立てをせず、腹の内、本当の気持ちや情報(本音)を互いに開示し合うのを理想とする。

このことは、集団内部において、各個人のプライバシーに関する情報や意見、判断が、何の隠し立てもなく、おおっぴらに流通することを意味する。言い換えれば、集団内では、各個人のプライバシーはもともと存在しないのも同然なのである。

ここで、集団内のある個人が、外部の他集団の内通者であったり、そうでなくても、本来集団の誰から誰までに集団内を流れる情報を開示して良いかの判断をうっかり誤ったりすると、たちどころに、集団内を駆けめぐっていた、機密度No.1の情報や意見が、外部にどっと漏れてしまうことになる。
つまり、集団の機密は、個人を通して漏れるのである。

これを防ぐため、各個人の動きを厳しく制限して、集団の内部情報(それは取りも直さず集団内を流通する個人情報の集積体である)を外部に漏らさないように締め付けるのが、今回の個人情報保護法案の隠れた本当のねらいである。

これは、欧米流ドライな個人主義の社会での個人本位の個人情報保護に対比させて、ウェットな集団本位の個人情報保護と呼べる。

内部告発と係累

現在の日本の会社、官庁のような組織では、内部成員の不正を外部に対して、内部告発するのには、大分の勇気が必要である。それはなぜか?

出てくるのが係累の問題である。
すなわち、ある人が、組織の中の別のある一人~何人かを、許せない不正を行っているとして、外部に向けて告発したとする。すると、告発の対象は、告発対象の本人だけでなく、その管理責任を追っている上司や横の関係者、そのまた上司、あるいは横の関係者、・・・・・ひいては組織のトップ、といったように、芋づる式に自動的に際限なく周囲に伝染してしまうという問題である。

一人の人物を告発したつもりが、話がとてつもなく大きくなり、そうなることで、告発をしたことに対する責任(もしも告発の内容が不当と外部に判断された場合の報復措置)もとても重くなってしまうのである。
要は、組織の中の人脈が、糸を引くとろろ芋や納豆のように、連続したコネ、縁故の形で、成員の間に張られているため、その中の一人に対する告発が、直ちに、その一人に縁故、人脈の連なる周囲の関係者に、見る見るうちに伝染し、対象が広がって、話が大きくなってしまうのである。
これだと、よほど心臓が強くないと、内部告発はでぎない。日本における内部告発において、匿名性が必須となるゆえんである。

しかし、誰が告発したかは、その告発内容から、その情報を知り得る人物はこいつしかいないとして特定されやすく、その場合、陰湿な報復が事後に告発者を待っていたりして、結局、内部告発者は、集団から浮いた存在となり、その集団にいることができなくなってしまう。
また、内部告発は、集団内部の秘密情報を外部に漏らすことにつながり、その秘密情報には、えてして集団成員の生の重大情報が含まれていることから、内部告発をした人が集団の意思に背いた密告者として制裁を受けることにつながる。

こういうことを考えると、日本社会において、内部告発を行うには、自分の所属する集団から跳ねられる覚悟が必要ということになるが、液体分子のように互いに近づき一体化して、集団に所属することを本質的に好むウェットな日本の人々にとって、所属集団からそうして村八分にされることは死刑宣告に等しい重大さを持つものとなるのである。

日本における「最先端」とミクロな発明

日本人は、物事を考え発展させていく上での基盤、基本になる発見、発明こそ、欧米に持っていかれることが多いが、欧米がなし遂げた基本的な発見、発明のいいとこ取りをして、広く採集してきた外部の最新の成果を元に、それにさらに細かく磨き上げ洗練や研ぎ澄ましを加え、ミクロな加工を施すことで、欧米人が成し得なかったぎりぎりの最先端に到達することができている。

欧米が大局的、基本的であるが往々にして粗削りで素朴なマクロな発明、発見に優れるのに対して、日本とか(中国とか)は、そうしたマクロな発明、発見を元に、繊細な知恵と手先を働かせて、最先端の切れ味鋭く無傷に完璧に磨き上げるミクロな発明、発見に優れると言えるのではないか。

なぜ、日本で公務員が優遇されるか?人気があるのか?

今の日本では、民間に比べて待遇の恵まれた公務員になりたがる人が多い。

なぜ、公務員が恵まれているかと言えば、言ってしまえば身も蓋もないが、「親方日の丸」だからだろう。
言い換えれば、日本で一番長続きして安定し、アメリカを除けば一番高い精神的地位についている「宮家(天皇家)」がバックにいる組織だからだ。

アメリカ主導で行われてきた戦後日本の教育では、公務員は、国民に対する奉仕者であるという位置づけがなされ、その点、国民は公務員に対して威張れるのだ、公務員は下だという意識が表向きは根付いている。

ところが、よくよく社会の動きを、例えば民間業者に対する公務員による行政指導の実態とか、民間企業への「天下り」の実態とか見ると、実は、公務員は、戦前から引き続き「お上」「お役人様」「天皇陛下の直属の臣下」であるという強固な姿が浮かび上がる。

国民に対する奉仕者としての公務員というのは、アメリカが日本政府に対して一段上の影響力を持ち続けている間の仮の見せ掛けの姿であるというのが、本当の所なのではあるまいか。アメリカが退潮すれば、にわか作りのメッキははがれ、元の「お上」の姿が再び出てくるというわけだ。

そういう風に、超安定の恵まれた待遇、民間を支配する高い権威と権力、支配的身分といった公務員の性質が、元々時々の権威に長いものに巻かれろ的に従ってきた一般国民には、誰でも受けられる公務員試験に通れば、見かけはペコペコ国民に頭を下げている感じだが、実態は日本社会、国民を支配する立場の特権的な身分になれるんだという気持ちが芽生え、公務員の座を目指して高倍率の競争をするようになっているというのが実態だろう。

むろん、1990年代前半までのいわゆるバブル時代には、公務員は給与が安いからねというので、あまり人気が無かったのも事実だが、それだけ、国民の間に自分たちは経済的に十分豊かだし、今後もこの状態が続くだろう、だからそんなにセコい考えで安定的な地位は求めなくていいや、どんどん浪費しようという経済的な余裕というか、楽観的な雰囲気があったのが原因だろう。

それが、バブル崩壊及び周回遅れで経済発展のレースを走り始めた中国とかの台頭、追い上げにより、日本社会が経済的に余裕を失い、十分な雇用とかを保持しえなくなって、改めて、公務員の安定性と民間に比べて無競争で恵まれた待遇に国民の目が向くようになり、「いいなあ、公務員」というようになっているが現在の状況であろう。

むろん、公務員は、民間会社の人間のように、自分で自分の食い扶持を稼ぐ、利益を上げることを、何にも考えなくてよい。民間が上げた利益を税金として一方的に召し上げる形で吸い上げ、その税金を自分たちの好きなように、給与に変形させた後に各自消費することができるのである。公務員は、年金生活者ならぬ税金生活者である。利益を上げるために骨身を削る思いを何らしなくて良い、「稼ぐ」ことは考えず「使う」ことだけ考えていれば良い気楽な職業であるのは確かである。

そのため、公務員は、民間に比べて、金銭感覚がどうしても甘くなって、公務員の行う事業は、効率化とかが遅れたり、無駄な出費が多かったりして、日本経済の足を引っ張っていることが多い。国民もそのことに気づきながらも、「お上」のすることだからしょうがないとあきらめムードが漂っているように見える。

というか、国民自身、自分たちも、自分の子どもはぜひ公務員にして、親子共々おいしい思いをしようという魂胆が見え見えだ。妬み半分で公務員の引き起こす不祥事とかを断罪する人々の心の裏に潜む「本当は自分も公務員がいい」という隠れ公務員願望の存在に、「悪代官征伐するぞー」みたいに表面的にはいい恰好をして公務員を断罪している本人がもう少し自覚して自らの本心に目を向けるべきであろう。

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