現在の日本では、住所、氏名等の個人の情報がネットとかに流出するのを防ぐ法案が施行され、個人情報の保護が声高に叫ばれている。
しかし、実際のところ、日本におけるこうした法案は、個々人のプライバシーを守るために作られたものではないのである。
ではなぜ、作られたのかといえば、個人のプライバシーではなく、各個人が属する「集団」プライバシー保護のためである。
この場合、「集団」とは、家庭、家族であったり、学校、会社、役所であったり、地域村落であったりする。
日本の伝統的な組織や集団においては、集団の成員は、互いに強い心理的一体感と絆で結ばれることを望ましいとしている。
そこでは、集団の成員である各個人は、集団の他のメンバーに対して、なるべく隠し立てをせず、腹の内、本当の気持ちや情報(本音)を互いに開示し合うのを理想とする。
このことは、集団内部において、各個人のプライバシーに関する情報や意見、判断が、何の隠し立てもなく、おおっぴらに流通することを意味する。言い換えれば、集団内では、各個人のプライバシーはもともと存在しないのも同然なのである。
ここで、集団内のある個人が、外部の他集団の内通者であったり、そうでなくても、本来集団の誰から誰までに集団内を流れる情報を開示して良いかの判断をうっかり誤ったりすると、たちどころに、集団内を駆けめぐっていた、機密度No.1の情報や意見が、外部にどっと漏れてしまうことになる。
つまり、集団の機密は、個人を通して漏れるのである。
これを防ぐため、各個人の動きを厳しく制限して、集団の内部情報(それは取りも直さず集団内を流通する個人情報の集積体である)を外部に漏らさないように締め付けるのが、今回の個人情報保護法案の隠れた本当のねらいである。
これは、欧米流ドライな個人主義の社会での個人本位の個人情報保護に対比させて、ウェットな集団本位の個人情報保護と呼べる。