現在の日本の会社、官庁のような組織では、内部成員の不正を外部に対して、内部告発するのには、大分の勇気が必要である。それはなぜか?
出てくるのが係累の問題である。
すなわち、ある人が、組織の中の別のある一人~何人かを、許せない不正を行っているとして、外部に向けて告発したとする。すると、告発の対象は、告発対象の本人だけでなく、その管理責任を追っている上司や横の関係者、そのまた上司、あるいは横の関係者、・・・・・ひいては組織のトップ、といったように、芋づる式に自動的に際限なく周囲に伝染してしまうという問題である。
一人の人物を告発したつもりが、話がとてつもなく大きくなり、そうなることで、告発をしたことに対する責任(もしも告発の内容が不当と外部に判断された場合の報復措置)もとても重くなってしまうのである。
要は、組織の中の人脈が、糸を引くとろろ芋や納豆のように、連続したコネ、縁故の形で、成員の間に張られているため、その中の一人に対する告発が、直ちに、その一人に縁故、人脈の連なる周囲の関係者に、見る見るうちに伝染し、対象が広がって、話が大きくなってしまうのである。
これだと、よほど心臓が強くないと、内部告発はでぎない。日本における内部告発において、匿名性が必須となるゆえんである。
しかし、誰が告発したかは、その告発内容から、その情報を知り得る人物はこいつしかいないとして特定されやすく、その場合、陰湿な報復が事後に告発者を待っていたりして、結局、内部告発者は、集団から浮いた存在となり、その集団にいることができなくなってしまう。
また、内部告発は、集団内部の秘密情報を外部に漏らすことにつながり、その秘密情報には、えてして集団成員の生の重大情報が含まれていることから、内部告発をした人が集団の意思に背いた密告者として制裁を受けることにつながる。
こういうことを考えると、日本社会において、内部告発を行うには、自分の所属する集団から跳ねられる覚悟が必要ということになるが、液体分子のように互いに近づき一体化して、集団に所属することを本質的に好むウェットな日本の人々にとって、所属集団からそうして村八分にされることは死刑宣告に等しい重大さを持つものとなるのである。