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2008年04月 アーカイブ

2008年04月08日

日本人と限定版

日本人は、商品の購入とかで「これは限定版です」という宣伝文句に弱い、というのが言われているが、その背景の深層には、物事を何かと限定したり制限することがが日本人の心の中でプラスの価値を持っていることが上げられるのではあるまいか。

日本人は、物事が制限、限定されるのを望ましく思い、フリーなのを嫌い、自分でも外部から束縛を受けると表面上は反発しながらも、それも肯定的に受け入れていく心理的な素地が強く存在するように思われる。その基盤には、互いに束縛し合いながら、強い一体感を持って、所属集団に付いていくのを心理的に望んでいるという側面がある。

欧米礼賛に気を付けろ

日本では、欧米のことを先進的であるとして盛んに持ち上げ、自分もそうした欧米文化を信奉し、欧米の動向に極めて敏感で精通し、欧米のような高い人権、自由に対する意識を持っているかのように振る舞う人が、特に知識人、文化人とかに多いが、気をつけた方がいいと考えられる。

というのも、そうした人たちは、往々にして、鼻持ちならない権威主義や、見栄、虚勢の持ち主であり、人々をランク付けしては、その中で自分が上流に位置していることを確かめたいスノビズムの持ち主であることが多いからだ。

欧米を持ち上げるのも、欧米文化が体現する、バラバラな人間同士の自由で直接的な衝突、対立や、攻勢的な個性の自己主張といった価値観に同意しているからではない。
欧米が力や勢いがあり、そうした欧米が持つ権威や権力に自分もあやかって、自分をよりよく先進的に見せたい、演出したい、「良い恰好をして、皆の注目を集めたい」という心理というか高いプライドが根底にある。

その点、化粧服飾や流行を追うのに熱心な、自己中心的な若い女性と余り心理的に変わらない。

むしろ、学閥や会社といった伝統的な組織や集団に所属して、その中で無難で主流の立場になって、威張っていい思いをしたいという気持ちが人一倍強い。
欧米への追従、崇拝は、自分の所属する組織や集団の中で、自分を格好よく見せる手段、張りぼてに過ぎない。

また、彼らは、欧米の権威や威力を借りて、自分の立場を強化しようとしている点、保身第一であると言える。
欧米の著名な誰々がこう言ったから、自分も皆もそれに従うべきだ、それに反論しようとする人間は身の程知らずであり、反論するならまずは欧米の論客の議論を全て頭に入れないといけない、といった感じで、自分の意見がなく、欧米の論客頼り、引用オンリーで受け身なのもその特徴である。

彼らのそうした態度は、既成の権威に対して反逆し、各自が自分独自の意見を持って自由に動き、周囲にアピール、攻勢をかけようとする、欧米のよくも悪くもドライな牧畜民系の文化(モンゴルとかも共通する)とは、本来相容れないものなのであるが、その限界に気付かずに、嬉々として欧米礼賛をするところが、見ていて痛々しいところである。

2008年04月13日

日本人と中国人 その2

-社会規模の違いがもたらす国民性の違いについて-

中国人と日本人は、同じ農耕民であり、同じ女性、母性主導の社会の一員であるという共通点があるが、その他の点ではだいぶ異なっている。

以前の文章では、両国間の家族制度の違いから来る国民性の違いについて触れたが、それとは別に社会の規模から来る国民性の違いも存在すると考えられる。

中国人は、強い中華思想の持ち主であり、自分が皆の中心、世界の中心にいて当然だと思っている。自分たちの存在が大きいため、自然と皆の注目を集めるからである。その点、自信が過剰な自己中心女の雰囲気が強い。

一方、日本人は、存在が相対的に小さいため、自分から精を出さないと、注目してもらえない運命にある。そこで、周囲の皆に注目して振り向いてもらえるために、かわいい女と見られるために、周囲に対して必死に媚びを売る側面がある。また、自分に自信がなく、周囲の自分への噂、評判をしきりと気にして、絶えず八方美人的な態度を取る、いい娘ぶる側面がある。

ただ、日本人に中華思想の気がないかと言えば、そうとも言えない。京都の人みたいに、自分を日本社会の中心と考えて国内に向かって「お上」ぶる日本人はかなりいるようである。その点、仮に日本が中国並みに大きな国家であれば、中華思想にはまったと考えられる。

中国は、大きな国家、大国であり、外圧に屈する必要がない。かっては、科学技術のレベルで大きく遅れたため、欧米列強や日本の支配下に入ったが、最近は再び政治的、経済的、軍事的に大きな存在となって、周辺国を威圧するようになってきている。

中国人は、自分が世界の中心であると考えがちなため、とかく周囲に対して態度が大きく厚かましくなりやすい。同じ女性でも、日本と比べると、より尊大で、ふてぶてしい、どっしり堂々と構えた「グレートマザー(太母)」、ないし図太いおばさんの化け物=「オバタリアン」的なものとなる。これは、例えば中国政府の報道官(男性も女性も)の威圧的な態度を見ると分かりやすい。

これに比べると、日本は相対的に小さな国家、小国であり、とかく外圧に弱く、アメリカとかの要求に容易に屈してしまう。また、国際社会の中での自分たちがどう見られているかを盛んに気にする癖があり、いい格好、いい顔をしようとして、各国に対して盛んに媚びを振りまく面がある。

「大和撫子」社会の日本人は、国際社会の中で、周囲から浮いたり、嫌われるのが怖くて、やたらと気を遣ったり、はっきり物が言えなかったり、とかく謙遜、遠慮しがちである。その点、「八方美人」的である。また、その時々の大国、強国、権威の後を追ってあっちにふらふら、こっちにふらふらとして、依存的で頼りない、か弱いことおびただしい。

その点、日本人は、行動が、国際社会を仲良しグループに見立てて、その中でのけ者にされまいと必死で周囲に対して媚びを売り親密さをアピールする女子高生~女子大生みたいな「可憐な乙女、かわいい娘さん」として立ち現れる。


では、韓国、朝鮮はどうかと言えば、日本、中国と同じ農耕民の母性主導の社会であることは同様であるが、隣の大国である中国と距離があまりにも近すぎて、呑み込まれかかっている感じが絶えずつきまとう。大国中国に絶えずぺこぺこして媚びへつらうとともに、自分と同格の日本を何かとライバル視して、その足を引っ張るのに忙しい感じである。そして、大国中国(大姑)の威を借りる形で、日本に対して、自国の相対的優位性(東方礼儀の国だとか)をさかんに主張する「小姑」みたいな面がある。

2008年04月26日

日本社会は女社会、女性解放の最先端を行く社会だ

日本社会は、表面的には男が威張っているが、実際は女性の影響力が強大な女社会である。お母さんの力が社会の中で一番強い、母性社会である。その点、日本社会は、実際は世界の中で女性解放の最先端を走る社会であるとも言える。日本社会を女性化している原動力が母親であり、日本社会は、男性が、母親の強い影響下で、女性化している社会とも言える。

また、女社会日本の伝統的な女性は、本来、父性の影響の混じらない、純粋に女性、母性のみの影響で生成された「純粋女性」「ネイティブな女性」(native woman)であると言える。日本社会にもともと父性は希薄であり、それは欧米社会が外来文化の形で専ら供給している。

従来あげられてきた日本社会の特徴(集団主義、恥の文化、和合や気配りの重視・・・)と、女社会の特徴とが極めて似ていることが、以下のように指摘できる。

女社会と男社会

「女らしい」日本人


また、妻が家庭の財政管理の権限を独占し、夫の尻を叩いて会社に行かせて給料をさんざん稼がせた上、その給料を全額取り上げて、いったん自分の手元に納めた上で、少額を小遣いとして夫に渡す、「鵜飼い」のような風習が、日本女性の強さを表している。会社で威張っている、いわゆる「男社会」の立役者のはずの男性も、その実態は、妻や母に尻を叩かれて働かされている「下男」と大して変わりない。いわゆる「ワンコイン亭主」が社会のデフォルトとなっている。

鵜飼い型社会


また、母親が、子供の教育権限を独占し、子供と緊密な一体感を構築して、子供を自分の意のままに動く「ロボット」「駒」として、受験戦争に邁進させ、子供が就職したら今度は社内での昇進競争へとハッパをかける、一生涯子供を支配し、まとわりつく存在となっており、一方で父親の影が薄くて父性がはっきりしない状態になっている「母性社会」というのも日本ならではの現象である。男性中心の会社で出世競争に邁進する男性たちの背後で精神的にがっちり手綱を握っているのが、母親という女性なのだ。

母性的経営


そろそろ、欧米フェミニズムの後追いばかりしている日本の女性学者たちも、自分たちの社会の実像を見つめ、日本社会で本当に強い、一番強いのは母親に代表される女性であることを認識し、女性解放と言う点では、実は日本社会は伝統的に、大変進んだ、世界の最先端を行く社会なのだということを、世界に向かって主張すべきだろう。

2008年04月27日

小中高教育で日本的ムラ社会を教えるべきだ

現在の小学校から中学~高校の現代社会や政治経済とかの教科書、参考書を見てみると、戦後から現代に至るまで、日本社会が、欧米の社会制度や科学技術を取り入れて、急速に経済発展し、欧米先進国の仲間入りを果たし、現在もその一員として世界をリードしているのだ、みたいに書かれている。

これを見ると、あたかも日本の社会風土がすっかり欧米化し、伝統的ムラ社会は影を潜めたかのように傍目からは見える。

しかし、実際のところ、日本の小中高~大学の学校は、学齢毎に先輩後輩の上下関係の厳しい年功序列の社会であり、お揃いの制服着用や生徒の団体行動を一番に重んじる画一性重視の集団主義社会であり、重箱の隅をつつくような厳しい校則でがんじがらめにされた管理社会であり、・・・といった感じで、伝統的なムラ社会の雰囲気を強く持っている。

これは学校が教えている欧米流の教育内容と矛盾しているのであるが、その矛盾を指摘する人が教師を含めいないので、生徒は、自分たちがすっかり欧米先進国の一員なんだ、欧米的考えを体得したのだと考えてしまい、自分たちが無意識に従っている日本的ムラ社会の実像に気づくことができないでいる。


そうした生徒、学生たちが、学校を出て、会社や官庁に就職して働くと、そこは、欧米流の個人主義やオープンな自由競争の世界とは遠くかけ離れた、「ウチの会社」といった外に向かって閉じた感覚、家族的な相互一体感や協調性重視、年功序列といった、伝統的ムラ社会のただ中に放り出されることになる。そこで、学校で教えられてきた「欧米的日本」とのギャップを死ぬほど味わう羽目になるのだ。


個人的には、自分たちの所属する日本的ムラ社会の特徴、実態を、生徒たちが学校にいる間気づけない、把握できないのははまずいのではないかと思う。何らかの時間を割いて、日本的ムラ社会の実像、特徴をその長所、短所を含めて生徒に教えるべきだし、社会の教科書にも書くべきだし、入学試験にも出すべきだ。

さらに、日本的ムラ社会が、稲作農耕に主に従事する他の世界の社会(中国、韓国、東南アジア)と共通点を持っていることで、日本は東アジアの一員であるという位置づけをちゃんと教えるべきだ。

また、日本的ムラ社会が、表面的には男が威張っているが、実際はお母さんの力が社会の中で一番強い、母性社会、女社会であることも教えるべきだと思う。日本的ムラ社会を、女性解放の最先端として捉える視点を生徒たちに与えるべきだ。

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