液体的な母性社会の住人である日本の人たちは、閉鎖的、排他的なムラや内輪の中で、周囲の人々と互いに一体化して、相互に引力で引き合うようにして生きている。
そのため、何かにつけて、周囲の目や意向を気にする、周囲の空気を読むことに必死になることになる。日本社会は、周囲に対する感度が強いことが求められる「センサ社会」であると言える。
日本社会は、周囲に見張られている「相互監視社会」であり、他人に見られて恥ずかしいという感覚が強い「恥の文化」である。「見られている」という感覚が強い、他人の視線を絶えず気にする、また他人のすることに関心が高く、他人に視線をよく向ける「視線社会」である。
日本人は人前でのプライドが高く、見栄っ張り、いい格好をしがちで、人前で自分にケチや傷が付くのを嫌う傾向がある。
何をするにも、「人前で」「皆の前で」うまく立ち回って、恥をかかないようにしよう、面子を保とうと必死になる。
何をするにも、周囲の視線が気になり、「皆の前で」という前置詞みたいのが必ずついて回るのである。
すなわち、
皆の視線が怖い。皆にどう思われるかが心配である。自分に悪い噂が立つ、陰口されるのが怖い。
皆の前で間違う、失敗するのが怖い。恥をかくのが怖い。間違っても目立たない、周囲にばれないのがよい。マイナス面で皆に注目されたくない。
自分だけが知らないのが怖い。周囲が知っていて自分が知らないことがばれるのが怖い。知ったかぶりをしたい。パソコンとか、初めて触って、操作しても、そのことがばれずにすぐに知ったかぶりができるのがよい。
皆の前で難しいことができているように見せたい。あんなことできるなんて凄いねと褒められたい。皆の前でいい格好をしたい。威張りたい。自慢したい。進んでいると思われたい。プラス面で注目されたい、目立ちたい。