日本人は、自分が他人の目にどう映るか、他人の視線を絶えず気にしながら生きている。それと同時に、他人が何をしているか、興味津々で大きな関心を持ち、視線を絶えずちらちら無遠慮に送り合って、相互監視しようとする。何をするにも「周囲の目」の存在が付いて回るのである。
日本人は、「皆の面前で」格好よく目立ちたい、威張りたい、皆を代表したいとか、上に立って指示、指図、命令したいとか、周囲に有能、できると思われ、周囲よりも早く出世、昇進したいといった、周囲の視線を前提とした「見栄っ張り」の性質を持っている。
日本人は、たくさんの人が見物する舞台の上で、格好良く「見得を切る」歌舞伎役者のように、自分も少しでも格好良く皆の前でぴしっときれいに決めたいという欲求を持っている。自分のプラス面を皆の目の前で格好良く披露して、よく見られたい、体面を傷つけず維持したいと考える。
一方、皆の見ている前で失敗して恥をかきたくない、皆の見ていないところで失敗したい、といったように、自分のマイナス面を他人に見られるのを、自分の体面に傷が付いたとして、非常にいやがる。いわゆる「恥の文化」である。
他者の視線を浴びるとき、自分のマイナス面を見られ注目されて、自分の面目が傷つけられ、マイナスの感情を抱くのが「恥」であり、プラス面を見られ注目されて、自分の面目を保ってプラスの感情を抱くのが「見栄、見得」であると言える。
このように、互いに他人の目、視線の存在に非常に敏感で、絶えず「周囲に見られている」という感覚を持つと共に、周囲の他人が何をしているか絶えず気になって、視線を送って監視、のぞき見するのに敏感で、絶えず周囲を見ていないと気が落ち着かないという感覚を持つのは、一種の病的な状態であり、「視線敏感症候群(シンドローム)」とでも名付けることができる。要するに、何をするにも、互いに周囲の他者の視線を絶えず気にしながら行うようになってしまう病気である。
視線敏感症候群(シンドローム)の表面(周囲に自分の良いところ、プラス面を積極的に見せようとする側面)が「見得、見栄」であり、裏面(周囲に自分の悪いところ、マイナス面を見せまいとする側面)が「恥」であると言えるのではないか。その点、「見得、見栄」と「恥」とは表裏一体の関係にあると考えられる。
また、視線に敏感であることについては、周囲の他者から受ける視線に敏感である側面(周囲からの視線の受信に敏感)、周囲の他者のすることが気になって、周囲に視線を盛んに送ることに敏感である側面(周囲への視線の送信に敏感)の2つの側面を同時に考える必要がある。
この病気に、自分の体面や見栄を気にする多くの日本人がかかっているということができる。
あるいは、「面子」の維持に神経を使う中国人とか、東アジア全般に見られる症状かも知れない。
常に他人との関わりの中で生きている女性的な病気であるとも言える。
互いに他者の目を気にするということは、互いに周囲の他者との絶え間ない関わり、結びつきの中で生きているということであり、関係指向の、相互の良好な一体感を重んじる液体的な生き方である。それは、他者に対して、良好かつ優位な立場を持ちたい、保ちたい、と同時に、変な目立つ失敗をして周囲の他者の自分に向ける目が厳しくなることで他者といままで築いてきた良好な関係が崩れ、他者に対して劣位に立つはめになるのを避けたいという心理が働いていることを意味する。
こうした視線敏感症候群(シンドローム)と反対の生き方は、他者の存在や視線に無関心で、自分の行きたい、やりたいことを、失敗等恐れずにマイペースでやっていく生き方であり、欧米等の気体的な社会がこちらに当たると考えられる。こちらも、他者の視線への無関心の度合いが進みすぎると、それはそれで問題なのだと考えられる。これは、視線無関心症候群(シンドローム)とでも呼べる。