従来の社会学とかでは、物事を先導して引っ張っていく能動的なリーダーが上位で、付いていく役のフォロワーは下位であるという見方が一般的であった。
しかし、後ろから付いていく、受け入れていくフォロワーの方が、社会によっては上位である。
まず、フォロワーはどういう行動を取り勝ちか、まとめると以下のようになる。
フォロワーは、自分からは動かない人たちである。誰かがやってくれるのを待っており、誰もやらないでいると、不便だと言って不平を言ったり愚痴をこぼす人たちである。そして、誰かがやって、もし失敗すると、嘲笑したり、盛んに駄目出しをする。苦労して成功した人が出ると、当初はよくやったと言って盛んにもてはやすが、そのうちに成功した人のことを妬ましく思うようになり、あら探しをして、その足を引っ張る。
フォロワーは、日和見主義者である。周りが何をやっているか注意深く観察し、周りに遅れないように、周りの人の輪の中に入り続けていられるように、大勢に合わせようとする。
フォロワーであることの利点は何か?なぜ、フォロワーが上位なのか?
フォロワーは、何か権力筋の怒りにふれるようなことをしても、首謀者とはならないため、自分からは行動責任を取らなくてよい。いつでも安心、安全圏に逃げられる、とどまれるのであり、保身できる。フォロワーは、安全、安心が保たれることができないと動かない。大丈夫、確実でないと動かない。その点、いつでも身の安全、安心を優先して享受できる。
また、フォロワーは、絶えず周囲の皆と一緒になって行動するため、一人で率先して行動せざるを得ない、助けを求めにくいリーダーに比べて、周囲の相互援助を受けやすく生き延びやすいという利点を持つ。皆と一緒であれば何をやっても怖くないというのもある。
フォロワーは二番手である。リーダーのように先頭を切って進むと、風雨にまともにさらされてしまい、条件が厳しい。フォロワーは先頭を切る苦労をせず、先頭が苦心して切り開いた成果を、楽して受け取ることができる。生存環境が、先頭のリーダーよりも恵まれており、温室的であり、ぬくぬくできる。
フォロワーは、自分からは直接手を上げず、危険を冒さず、誰かにやってもらう。そのため、まともに危険にさらされたり、責任を取らされるリーダー役に比べて、生存環境として恵まれている。
身の安全、安心、保身や、楽な温室的生活を優先的に享受できるため、生存可能性がリーダーよりも上であり、その点リーダーより恵まれた生活環境を手に入れられている点が、フォロワーが上位となる理由である。
フォロワーのように、身の危険を感じない、安全圏にずっといられる人、逃げ道を確保できる人、高見の見物ができる、ぬくぬくと生きながらえることができる人、生き延びやすい人が、一番地位が高い、上位にある。
リーダー上位なのは、一人一人が我こそは一番先頭を行くという人々の集まりである社会、すなわちアメリカに代表されるような、自ら率先して動く能動的な人々の集まりである気体的な父権社会に限定される。こうした父権社会では、危険に直面して落命してもいいから、人々を先導する、独創的な成果を出せることがかっこいいとされるのである。
一方、フォロワー上位なのは、日本のように、他人の行った成果を受け入れ、受け止め、呑み込むクッションのような人々の集まりである液体的な母権社会である。母親は女性であり、何よりも自らの保身を重んじ、安全、安心の確保にうるさい。そうした母親の影響を強く受けた社会においては、自分からは行動をなるべく起こさず、周囲の動向を見極めた上で、最も安全で、それでいてそこそこ儲かることをするのがいいとされるのである。
例えば、母権社会日本の政府において、実質一番上位なのは、表面に立って目立っているが、批判、風雨の矢面に立たされ、すぐ更迭される大臣ではなく、そこからワンランク下の、大臣による風除けが効いた立場にいる事務次官であるということができる。
あるいは、外部に露出して外敵と直接対決しなければならない男性リーダーよりも、その言うことに従いながら守られる女性の方が、より安全、安心で、地位が高いと言える。
つまり、フォロワー上位社会では、風雨の矢面に立つ最上位ではなく、そこから1~2ランク下のクッションの効いた位置が一番安全、安心であり、実質の地位が高いと言える。
その点、フォロワー上位社会では、表立って目立つ人が上な「表面的地位」と、保身の上で居心地のよい人が上な「実質的地位」を区別する必要がある。
なお、場合によっては、リーダーがワンマンかつ保身タイプで、失敗したときにフォロワーに責任をかぶせるトカゲのしっぽ切りのようなことを行うことがあり、この場合は、フォロワーにとっては、責任を取らされないようにうまく逃げる必要がある。