日本の会社員(正社員)は、自分の勤め先の会社のことを「ウチの会社」、あるいは単に「ウチ」と呼ぶことがほとんどである。官公庁の職員にもこの傾向があるし、学生たちにおいても、「ウチの高校、大学」「ウチらのサークル、同好会」といった感じで、自分の所属する組織について、「ウチ」という言葉を連発する。
「ウチ」という言葉を使うようになるのは、使う人が、その組織に足を踏み入れ、その中、内側に完全に取り込まれ、出られなくなった状態になっていることを意味する。要するに、組織に「呑まれた」ということである。
「呑まれた」というのは、日本の会社のような組織が、内外を隔てる強力な膜ないし、外部の者を中に入れないよう表面積を最小化する表面張力を持ち、人は、その中には厳しい試験とか通らないとなかなか入れてもらえず、その一方、人がいったん膜を貫通して中に入ると、膜に開いた穴はすぐに修復して閉じられてしまい、その人は、どっぷり中の液体に浸りきって、一体化しきって、外に出られなくなり、中にいる他のメンバーとひたすら「内輪」「ウチウチ」の集団コミュニケーションを取り続けるようになる、という状況の発生を意味している。
このことはまた、日本の会社が、外部に向かって閉じられ、内部で互いに引き寄せ合って、密着し合って動く、液体原理で動いていることの現れである。液体分子のかたまりの中が「ウチ」である。それは、母の胎内の羊水の中にも例えることができ、母性を体現したものであるとも言える。
つまり、「ウチ」という言葉を連発する人は、自分は、人付き合いやコミュニケーションのあり方において相互一体化を好む、閉鎖的、内部限定なのを好む・・・といった液体原理、母性原理にどっぷり浸っていますよ、「お母さん子」ですよと、無意識のうちに宣言しているようなものである。
「ウチ」の組織に呑まれた、取り込まれた状態では、その組織から一定の距離を置いて冷静に付き合うことが不可能となり、物事が何でも「ウチ」中心で動くことになり、個人の自主独立、プライバシーや自由の尊重や、物事に対する客観的視点(気体的性質)が永遠に失われてしまう。また、所属する「ウチ」の存続繁栄のために、メンバー個々人は犠牲になってもぜんぜん痛くないかのような感覚麻痺が各メンバーに生じ、「会社人間」「所属組織第一主義」が誕生するのである。
その組織に取り込まれた、呑まれた程度を計測するバロメーターが、「ウチ」という言葉の使用頻度と使用の自然さの度合いであるといえる。「ウチ」という言葉をどのくらい頻繁かつ自然に発しているか、それが多いほど、自然で抵抗がないほど、「呑まれている」と言える。そして、取る態度や思考が液体的であり、母親の影響が強い(思考が母性的になっている)と言える。