Sponsored Link

« 2008年07月 | メイン | 2008年09月 »

2008年08月 アーカイブ

2008年08月04日

所属組織への24時間没入、完全包含

以前、会社員向けの栄養飲料広告で「24時間働けますか」といった宣伝文句が連呼されていたが、日本の人たちは、自分が入社、入学した、会社、官庁、学校といった所属組織に対して、24時間、全人的に没入することが望ましい、という考えを持っている人が多いようである。

全時間、全人格を、所属する会社とかのために全面的に捧げる、所属する会社に完全に呑まれる、包含されることが望ましいと考えるのである。そして、部分時間的にしか働かないパートタイマーを、不完全な雇用形態とみなして、見下そうとする。

これは、自分の心身全体を完全に温かく包んでくれる、完全に閉じた球形空間であり、母の母胎として捉えられる。24時間完全に所属組織に内包、包含されるのを望むのは、所属組織を母に見立てて、全身を温かく、柔らかく受け止めてほしいという心理が、心の奥底で働いているからであり、所属組織への全人的没入は、母性への依存心がなせる業であるということができる。

こうした、母性を体現し、構成員を全人格的に没入させ包含する、構成員にとってお母さん代わりの存在である日本の会社、組織や共同体は、「母的会社」「母的組織」「母的共同体」ということができる。

漏れるのが怖い・・・鎖国体質

日本の人たちは、自分が所属する会社、学校等の組織の内部情報が外部に漏れるのをとても恐れる傾向があるのではないだろうか?

内部=ウチウチのことはあくまで内密にして、外部に決して漏らしてはならないという、秘密主義の考え方が広く行き渡っているように思える。

こうした外部に対する情報非公開、秘密、閉鎖主義は、日本では、官公庁に限らず、会社から地域集落に至るまで、社会全般に見られる現象である。

最近話題になっている個人情報の保護についても、実態は、社内情報(社外秘情報)の保護、漏洩防止が最も優先すべきことになっており、その点、会社、集団優先の行き方であり、個人の保護というのは、欧米に合わせるためだけの題目に過ぎない感じがする。これについては、集団本位の個人情報保護を参照されたい。

こうした外部に向かって閉鎖的、排他的で、内部情報の漏洩を許さない、自己完結した空間や製品を作ることが日本の人はとても好きなのではないだろうか?

こうした外部に対して門戸を閉ざし、自己完結した空間を好む「鎖国体質」が、日本社会の特徴の一つとなっていると思われる。これは、液体のように外部に対して表面積を最小化する表面張力が社会に常時働いていることを示すものであり、日本社会の液体的な特質を表したものとなっていると言える。

また、対内的に、成員が全人的な強い一体感を持つとともに、対外的に、外部の者の進入を許さない膜のようなものを備えている点、母親の母胎を連想させるものであり、日本社会の母性的性質を表したものとなっていると言える。

こうした「鎖国体質」は、日本以外でも、北朝鮮とか、東南アジアとかで広く見られるものであり、広く稲作農耕民に共通する心理なのではないだろうか?

社会的引きこもり

日本では、いつまでも自宅に引きこもって、家の外で仕事をしたりしようとしない、社会的ひきこもりが問題となっている。

筆者は、この社会的引きこもりは、母への依存、被保護欲求がもたらすものである、と考えている。

いつまでも母親の懐で守ってもらい、ぬくぬくとしていたい、外に出るのが怖いというのが、引きこもりを起こさせる原動力となっていると言える。母的存在に、いつまでも包含され、守ってもらいたいという心理が、引きこもりを起こさせているのである。

その点、社会的引きこもりは、母性社会の申し子であるとも言え、日本では決して異常な現象ではないと言える。

例えば、社会に出て、会社とかで働いている日本人は、一見「引きこもり」とは無関係な、「引きこもり」を解決したかのように見える。

しかし、実際のところ、彼ら会社員は、自分の所属する会社や官庁とかの組織の中に全人格的に没入、一体化して、四六時中所属組織のことばかりを考え、考え方が所属組織第一の閉鎖的なものとなり、所属組織を離れて外に出ようとしない。そうした姿は、広い目で見れば、所属組織内への「社会的引きこもり」をやっているように見える。

すなわち、所属組織を、自分の母親代わりに見立てて、その中に全人的に包含され、その中でいつまでも守ってもらおうとする「被保護欲求」が彼ら会社員の心の中に強く働いており、それが所属組織内、会社内「引きこもり」を生み出しているのである。

彼らは社会人として一見自立したように見えるが、実際のところ、自分の実の母親のもとで引きこもる状態から、新たに、母親代わりの会社、官庁の組織の中に抱かれて、その中に引きこもるように、状態遷移が起こっただけで、引きこもっている状態には変わりがないのである。

その点、社会的引きこもりをすること自体は、日本では、別に恥ずかしいことでも、悪いことでもないのである。

問題はむしろ、経済的に自立できていること、自力で食べていけるようになっていることが実現しているかどうかという方にかかってくると思われる。そこが、ニートの自宅引きこもり(食べていく能力がない)と、会社員の会社内引きこもり(一応食べていく能力を身につけている)の決定的な違いである。

社会的に引きこもりつつも、やはり、経済的な自立のための能力取得は目指すべきではないだろうか?その点、自宅に引きこもりながらもできる資格習得のための通信教育とかの学習機会の用意とかが、社会的にもっと用意されるべきであろう。インターネット上で、ゲームをしながら、食べていくのに必要な能力を、対人的なものも含めて学習できるのがよい。

2008年08月10日

嫌われたくない・・・いい子の増殖

日本の人たちは、互いに良好な対人関係の構築に敏感であり、互いの一体感の維持を重要視する。

その点、何をするにもグループ行動が前提の社会となっており、人々は、一人だけ疎外されて、仲間外れにされるのを何よりも恐れる。

そこから、集団や周囲に嫌われたくない、受け入れられたいという強い気持ちが働き、人々は、集団や周囲に受け入れられる子、いい子になろうと必死になる。

そこから、所属集団の規則をよく守ったりするようになる。あるいは、集団への忠誠競争が起きたりする。いわば、所属集団への過剰な適応が起きるのである。

こうした状況下では、自分は本当は~したいという本心は抑圧されるか、あるいはそもそも空(何もない)だったりする。自分にとって、所属する集団が全て、という心理状況が生まれる。

これが、日本社会において、集団の規則に従順ないい子が増殖、蔓延する原因となっていると言える。

部外者の自由なアクセスを許さない・・・非公開への指向

日本の人々は、自分たちが内輪で決定、作成した事柄について、外部の、余所の人間が介入してくる、アクセスしてくるのを極端に嫌い、ウチウチだけで管理しようとする傾向がある。

例えば、ノートパソコンの修理について、欧米外資系のメーカーには、使用部品を公開し、修理部品を個別に販売して、利用者が自分で分解し、組み立てて直すことを容認している所が多い。いわば、外部利用者が自分たちの設計した機体の中に自由に入り込んで、いろいろいじることを前提とした運用を行っている。

一方、日本メーカーと言えば、利用者が自前で修理することを嫌い、自分で機体の中を開けるだけで保証はなくなります、という非公開措置を揃って取っている。そこには、自分たちの設計、作成した空間は、自分たちだけで永久に管理したい、外部利用者が入ってくることは決して許さないという、部外者アクセスの制限への堅い決意が感じられる。

要するに、部外者、外部の侵入、自由な出入りを決して許さないという、非公開、外部不侵入、内輪結束、限定主義みたいなのが、日本社会全体にはびこっていて、それが社会の秘密主義、閉鎖主義をもたらし、日本社会の風通しを悪くしているように思われる。

2008年08月18日

気配り、配慮、遠慮、深読みの無限ループ

液体タイプのみんな一緒なのを好む日本社会では、周囲への気配りや配慮が重視される。

それは、周囲との良好な一体感を保つ、周囲に受け入れられるために必要である。自分の所属するべき集団に一体となって受け入れられることが最終目標となっている。

また、周囲に対して互いに注意を向け合うことで、相互に相手の状態を把握し、互いに相手の自分のことを見て欲しい、尊重して欲しいという欲求に答えるとともに、心理的に緊密に協調していくことができる。

ただし、気配り、おもてなしをするのは心理的に気疲れすることであるし、よりよい気配りを追求していったらどこまで行っても切りがないが、どこまですればよいかの判断が難しいため、無限ループに陥りやすい。

また、相手が自分の配慮のことをどう思っているか、絶えず気になり、さらにそれについて配慮を加えるといったように、配慮の無限ループにも陥ってしまう。

遠慮という形で、気を回して、自分をわざとプッシュしないことで、相手に押しつけがましい感じを与えないようにすることで、相手の気持ちを尊重しつつ、相手に受け入れられようとする行動も頻繁に見られる。

遠慮は、自分からは自己主張をせず、相手が自分の欲求に気づいてくれるのを待つという感じで、受け身である。

また気配り同様、自分の遠慮は、奥ゆかしい感じを演出するためのわざとらしい演技に周囲に見えるかも知れないとか気にして、ならば本当に遠慮しているように見せるには、どうしたら・・・みたいに深読みをしていくと切りがない。

そうした深読みループに陥りやすいのが、この国の人の心理的問題点である。

また、気配りや配慮、遠慮は、その底に、自分のことも配慮してほしい、気づいて欲しいという欲求が潜んでおり、それに周囲の他者が気づかないでいると、自分は周囲にこんなに気を遣っているのにと当人の不満となってやがて爆発する。一見他人本位に見えて、結構、自分本位の虫のいい考え方なのではないだろうか。

About 2008年08月

2008年08月にブログ「ブログ 日本らしさの分析」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2008年07月です。

次のアーカイブは2008年09月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。