日本では、いつまでも自宅に引きこもって、家の外で仕事をしたりしようとしない、社会的ひきこもりが問題となっている。
筆者は、この社会的引きこもりは、母への依存、被保護欲求がもたらすものである、と考えている。
いつまでも母親の懐で守ってもらい、ぬくぬくとしていたい、外に出るのが怖いというのが、引きこもりを起こさせる原動力となっていると言える。母的存在に、いつまでも包含され、守ってもらいたいという心理が、引きこもりを起こさせているのである。
その点、社会的引きこもりは、母性社会の申し子であるとも言え、日本では決して異常な現象ではないと言える。
例えば、社会に出て、会社とかで働いている日本人は、一見「引きこもり」とは無関係な、「引きこもり」を解決したかのように見える。
しかし、実際のところ、彼ら会社員は、自分の所属する会社や官庁とかの組織の中に全人格的に没入、一体化して、四六時中所属組織のことばかりを考え、考え方が所属組織第一の閉鎖的なものとなり、所属組織を離れて外に出ようとしない。そうした姿は、広い目で見れば、所属組織内への「社会的引きこもり」をやっているように見える。
すなわち、所属組織を、自分の母親代わりに見立てて、その中に全人的に包含され、その中でいつまでも守ってもらおうとする「被保護欲求」が彼ら会社員の心の中に強く働いており、それが所属組織内、会社内「引きこもり」を生み出しているのである。
彼らは社会人として一見自立したように見えるが、実際のところ、自分の実の母親のもとで引きこもる状態から、新たに、母親代わりの会社、官庁の組織の中に抱かれて、その中に引きこもるように、状態遷移が起こっただけで、引きこもっている状態には変わりがないのである。
その点、社会的引きこもりをすること自体は、日本では、別に恥ずかしいことでも、悪いことでもないのである。
問題はむしろ、経済的に自立できていること、自力で食べていけるようになっていることが実現しているかどうかという方にかかってくると思われる。そこが、ニートの自宅引きこもり(食べていく能力がない)と、会社員の会社内引きこもり(一応食べていく能力を身につけている)の決定的な違いである。
社会的に引きこもりつつも、やはり、経済的な自立のための能力取得は目指すべきではないだろうか?その点、自宅に引きこもりながらもできる資格習得のための通信教育とかの学習機会の用意とかが、社会的にもっと用意されるべきであろう。インターネット上で、ゲームをしながら、食べていくのに必要な能力を、対人的なものも含めて学習できるのがよい。