液体タイプのみんな一緒なのを好む日本社会では、周囲への気配りや配慮が重視される。
それは、周囲との良好な一体感を保つ、周囲に受け入れられるために必要である。自分の所属するべき集団に一体となって受け入れられることが最終目標となっている。
また、周囲に対して互いに注意を向け合うことで、相互に相手の状態を把握し、互いに相手の自分のことを見て欲しい、尊重して欲しいという欲求に答えるとともに、心理的に緊密に協調していくことができる。
ただし、気配り、おもてなしをするのは心理的に気疲れすることであるし、よりよい気配りを追求していったらどこまで行っても切りがないが、どこまですればよいかの判断が難しいため、無限ループに陥りやすい。
また、相手が自分の配慮のことをどう思っているか、絶えず気になり、さらにそれについて配慮を加えるといったように、配慮の無限ループにも陥ってしまう。
遠慮という形で、気を回して、自分をわざとプッシュしないことで、相手に押しつけがましい感じを与えないようにすることで、相手の気持ちを尊重しつつ、相手に受け入れられようとする行動も頻繁に見られる。
遠慮は、自分からは自己主張をせず、相手が自分の欲求に気づいてくれるのを待つという感じで、受け身である。
また気配り同様、自分の遠慮は、奥ゆかしい感じを演出するためのわざとらしい演技に周囲に見えるかも知れないとか気にして、ならば本当に遠慮しているように見せるには、どうしたら・・・みたいに深読みをしていくと切りがない。
そうした深読みループに陥りやすいのが、この国の人の心理的問題点である。
また、気配りや配慮、遠慮は、その底に、自分のことも配慮してほしい、気づいて欲しいという欲求が潜んでおり、それに周囲の他者が気づかないでいると、自分は周囲にこんなに気を遣っているのにと当人の不満となってやがて爆発する。一見他人本位に見えて、結構、自分本位の虫のいい考え方なのではないだろうか。