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攻めの社会、受けの社会、クッション社会

日本のアニメ、コミックとかで、男性同士の同性愛(ボーイズラブ)を好む女性たちが、よく「攻め」「受け」という概念を使うが、この概念は、日本社会と欧米社会の特徴を表すのにも有効である。

欧米は、ドライな気体のように、対外的に自由かつ能動的、積極的に、攻め込んで、放っておくとどんどん突っ込んでくるタイプの社会であり、攻めの社会と言える。

一方、日本は、ウェットな液体のように、自分から自主的、自由、能動的に動くことをせず、自分からはあまり発信せず、外からやってくる相手や運命をひたすらそのまま受容し、受け止める、受けの社会と言える。

例えば、欧米が女性解放をうたうフェミニズムを掲げて、どんどん布教し、攻めてくるのに対して、日本は、自分たちの社会が女性、母性優位であることを、自分からは発信せず、ひたすら欧米の布教内容を、受け入れ、受け止め、クッションになって吸収し、呑み込んでいく。

その結果、全世界的、普遍的に、男性優位であり、母権制は滅んだという神話が成立してしまうことが起きている。


従来、性差に関する言論においては、攻めの男性に比べて、受けの女性は下位である、力関係で劣るみたいな主張が数多くなされている。女性が社会的弱者である証拠みたいな言い方もされ、女性はもっと受け身でなく、自己主張をしないといけないみたいな主張も頻繁に見かける。

しかし、それは、受けの女性の持つ本当の力の大きさ、恐ろしさを知らない物言いであるということができる。

受けは、突き詰めていくと、全ての攻めを包含、呑み込み、吸収して、すぐ元の形状に戻り、びくともしない、動じない、巨大クッション、底なし沼として立ち現れる強大な存在である。従来、臨床心理の分野でグレートマザーと言われてきたのが、これに該当する。

これを例えばセックスに当てはめると、男性がペニスを挿入し攻める役割であり、女性がそれを受け入れる、受けの役割であるとされている。この場合、男性が何回射精しても、女性が何回オーガズムに達しても、女性が、それがやみつきになって決して満足せず、快感や次回の射精を永久に求め続けて、セックスをいつまでも止めようとしないことを考えれば分かりやすいと思われる。

こういう女性は、男性の精を全て受け入れ、吸い尽くしてしまう存在であり、男性は最初の内は元気に攻め込んでいても、やがて全てを女性に吸収し尽くされて、げっそりやつれて、終いには倒れ、死んでしまう。

こうして見ると、受けは、実は強く、恐ろしいものであり、決して侮ってはいけない代物であるということが分かるであろう。

これは、文化においても同様である。

従来、外に向かって攻め込むのを得意とする、発信型、攻めの欧米が優位に立ち、外からやってくる文物をひたすら受け身で受け入れ吸収するだけの受信型、受けの日本は、どちらかというと劣っているみたいな言い方が頻繁になされている。

しかし、上記の受けに関する説明からは、これとは違った見方ができると言える。

日本社会は、根源的に、欧米からの全ての攻めを包含、呑み込み、吸収して、すぐ元の形状に戻り、びくともしない、動じない、巨大クッション、底なし沼として立ち現れるのであり、こうした吸収力、復元力の強さこそが、受けの社会である日本の強さの原動力であるということができるのではないだろうか。

その点、受けの日本社会は、強くありたいと思うのなら、巨大クッションを目指すべきなのだ。この主張は、日本=クッション社会と言うことができる。


参考

クッションの性、ショックの性

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2008年11月05日 10:59に投稿されたエントリーのページです。

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