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2008年12月 アーカイブ

2008年12月11日

鉄道王国日本

日本は、世界の中でも、鉄道の極めて盛んな国だと思う。

東京や大阪のような大都市圏の人々の社会生活は、縦横無尽に細かく張り巡らされた鉄道網によって初めて維持されていると言って良い。特に、通勤ラッシュでの大量の車両による、正確な時刻を守った一糸乱れぬピストン輸送は、日本の鉄道の輝かしさの象徴である。

もう一つの特徴は、新幹線に代表される、高速鉄道網の広がりである。新幹線は、その高速性、定時性、運転本数の多さがもたらす輸送力の大きさ、といった要因によって、日本の長距離旅客輸送を航空機と激しく争ってきた。

このように、社会生活維持に鉄道が欠かせないというだけでなく、鉄道が人々の心に深く浸透しており、潜在的な鉄道ファンの数が多いことが、日本の鉄道が盛んなことのもう一つの証拠である。

この間の、初代東海道新幹線車両の引退が、国民の間に大きなフィーバーを起こしたりしているのにも現れているように、日本国民が、広く「一億総鉄道ファン」みたいな感じで、鉄道を愛していると言える。

では、何が、日本人を鉄道に引きつけているのだろうか?いくつか要因を挙げてみる。

・時刻の正確さの保持と、超高密度・精密運転の両立がもたらす高度な秩序感が、そういった正確さ、精密さ、秩序が好きな日本人の性質に合っている。

・線路がずっと日本社会の中央部までつながっているという、連続、連結、連絡感が、そういった中央政府とのパイプやコネを好む日本人の性質に合っている。

・鉄道車両は、自動車やバス、航空機よりも車内が広く、居住性がよい。また、車内は、金属板で守られた、安全、安心感のある空間である。また、決められた線路上を走ることで、ハンドル操作無しに、目的地まで半自動で連れて行ってくれるお任せの度合いが強い。そうした居住性、安心感、お任せ感が、そうした点を重視する女性的な日本人の性質に合っている。

・列車を通じた、車内や行き先での鉄道員や地元の人々との触れ合い、交流、コミュニケーションの促進、あるいは視覚や味覚を楽しませる地元名産品や駅弁とかとの出会い、生理的快感が、そうした対人関係や交流、感覚の心地よさを重んじる日本人を惹き付けている。

むろん、鉄道が好きなのと、実際に利用するのは別なのは、地方のマイカー普及と赤字鉄道路線の多さを見れば一目瞭然である。

そうした赤字路線でも、それなりの存在意義があるのは、ある程度の長距離を、身一つ、あるいは荷物を抱えて移動する乗客には、これより他の適切な代替手段がなかなか存在しないというのがあるのではないか。

道路は、どこでも引かれるが場所によっては全く人も車も通らないことがある、野ざらし放置で、色んな雑多な車が無秩序に流入してきて、渋滞とかで目的地にいつ到着するか予想が立ちにくい。

そうした道路の上を走るバスや自家用車と違って、鉄路は、敷設場所を選ぶが、他車の流入を許さない専用の軌道を持ち、きちんとした運行のための専用設備が絶えず保守点検され、運行している限り待てば必ず定刻に列車がやってくる、通るという、運行の専用性、定時性、確実、安定性が、そうした性質を重んじる日本の人々の心を惹き付けているのは間違いない。

日本人のヒステリー体質

日本の人は、感情や情緒に流されやすく、絶えずピリピリしており、ヒステリーを起こしやすい人たちだと思う。

何かにつけてピリピリと感情を爆発させ、「早く○○しなさい!ダメでしょ!」みたいに相手に対してカッとなって瞬間的にスパッと根拠無しに断定的な物言い、決めつけをする人が多いと言える。あるいは、何かと言えば、激高して、「絶対、必ず○○するぞ!!」みたいな感じで、最上級の感情表現をいともたやすく使う人が多い。

このヒステリー体質は、個人だけでなく、社会や集団全体が、ヒステリックな面を持っており、例えば戦前の陸海軍の軍隊で、「上官の命令には『絶対』服従」「天皇陛下は『神聖不可侵の』『絶対』の存在だ!万歳!」みたいな感じで、やたらと絶対を叫んでいたのに現れていると言える。

こういう大げさな感情的表現は、会話とかで男性よりも女性の方が使う頻度が高いとされる。日本社会がヒステリー体質であるのは、日本人が女性的であることと関係が深いのである。

日本のいわゆる良識派、「良い子」と減点主義、退嬰性

日本人は、基調としては、間違いのなさ、無難さ、事なかれ、大過ないことを重んじる人が多い。
積極的な長所を見いだすよりは、相手のマイナス面を細かくチェックして、取り立てて落ち度、欠点がないことが求められることが多い、減点主義社会であると言える。

積極的に冒険して失敗すると、大きく減点されるので、あらかじめ決められた確実で大丈夫なことだけ大事を取って行うという風潮がある。

これは、欠点、傷を少しも許さない完全主義にもつながっている。表面の極めて滑らかで傷一つ無い陶磁器を愛好するのと根が一緒である。

また、良識派というか、とかく良い子ぶって、自分は落ち度のない正義の申し子みたいな顔をして、相手の欠陥を批判したり、意見や説教を垂れる人が多いように感じる。新聞社みたいなマスコミの社説とかこの手の人物に事欠かない感じだ。

自分は安全地帯に逃げ込んで高みの見物を決め込み、次に何が待ち受けているか分からない最前線で悪戦苦闘して、試行錯誤を繰り返す中で結果的に問題や事故を引き起こしてしまう人員を厳しく叱咤するような雰囲気が漂っている。

現場に出ないで、安全な奥の院から処罰命令を繰り返す経営幹部みたいな感じである。

何事も安全、安心第一で冒険、試行錯誤による失敗を恐れ、問題なく、大過なく、何も積極的な行動を起こさずに、身を低くしてやり過ごす、役人、女性みたいな退嬰的雰囲気が日本社会全体に漂っていると言える。そうして身につけた落ち度、欠点のなさを武器にして、落ち度、欠点を出した人を非難して、自分が上位に立った気分に浸って満足しているのが、この国の「良識」人の実態である。こうした良識人、「良い子」が、日本社会に蔓延している。

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