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「漏斗(ろうと)モデル」 最終完成品出力機としての日本と、技術・原料の一方通行

日本の人たちは、欧米から、今までに無い新しいが、荒削りで未完成な様々な広範な要素技術を導入、消化吸収して、小改良を重ねるのが得意である。

それと共に、海外から、日本では産出しない様々な原料をたくさん輸入しようとする。

そうして、それら技術、原料を互いに組み合わせてパッケージ化して詰め合わせ、1まとまりに凝縮すると共に、その過程で、パッケージに磨きをかけて、完成度を高めたものを、最終出力として、体外に排出する。

要するに、日本は、諸技術、諸原料を組み合わせ凝縮した最終完成品の出力機なのである。

そこには、
海外からの技術、原料の一方的な導入と消化吸収
→技術、原料の組み合わせ、相互凝縮(と高度な磨き上げ)
→最終完成品製品の海外への出力、排出
という、一方通行の流れが存在する。

これは、ちょうど、漏斗(ろうと)の周辺部に水をバラバラにかけると、それぞれの水が下方向へと一方的に流れ下り、互いに狭い筒の中で、互いに組み合わさり、凝縮され、相互一体化して、磨きをかけられたところで、最終完成品として、筒の下から、外部に出力、排出、落下するのと同じ理屈である。

これは、「漏斗(ろうと)」モデルと呼ぶことができる。

特徴は、入力が専ら欧米先進国の要素技術、日本自国では採れない原材料であり、出力が専ら、導入技術と原材料を組み合わせ、高度に加工、凝縮したところの最終完成品、といった感じで、文物の流れが一方通行であることである。ちょっと汚い話だが、食べ物の摂取、消化吸収、便の排出の一方通行性とも似ている(「排便モデル」とも言えるかも知れない)。

自分からは、(欧米のように)新規の独創的なアイデアを産出しようとはせず(自分からは出すのが苦手で)、欧米産の新たなアイデアを一方的、機械的に直輸入して、それらのアイデアを互いに組み合わせ、小改良して、最終的な売り物の製品を、物言わずにひたすら一方的に海外に向けて出力するというのが、日本の取りがちな行動であると言える。

最近は、日本国内では製造せず、より人件費の安い中国とかに製造を委託することが大半となっているが、商品製造の根幹部分を占める高度に改良された技術の持ち主という点では、日本人がまだ握っていると言え、「漏斗モデル」は健在であると言える。

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2009年01月26日 00:56に投稿されたエントリーのページです。

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