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先生頼み

日本国の人は、何かにつけて先生役の人を求めたがり、ありがたがる。

何か知らない状態で、自分自身で試行錯誤して解法が分からないまま未知の失敗を重ねるのが怖くて、既に上手な成功例、解法を知っている先生にすぐに頼ろうとするのだ。

なので、先生がいないと、自分からは何も出来ない。ひたすら、教えてもらいたがる傾向がある。生涯学習と言えば聞こえが良いが、裏を返せば、生涯先生に頼り切り状態が続くことになる。

先生役の人も、自分から未知のことに手を出して失敗する(、そして笑われる)のが怖いので、更に上の先生役、師匠、権威者を見つけて、そこから教えを請い、やっとの思いで教えてもらったことを、未だ知らない生徒役の人に向かって、今度は打って変わって偉そうな態度で教えるのだ。

日本では、先生(大学教授とか)が、知識を持っているからというそれだけの理由で、やたらと偉そうに威張ることが許されている。自分では何も新たな知識を生み出さず、更に上の先生役(先輩とか)から教えてもらったことを、横流ししているだけの場合でもである。

日本人が、欧米に対して、内心劣等感を抱きつつ、やたらとその文物を有り難がり、崇拝するのは、欧米が、日本にとっての先生役、先導役を今なお果たしているからである。日本と違って退嬰性が薄い欧米は、自分で未知のことに試行錯誤や失敗を繰り返しながら真っ先に乗り込む結果、払う犠牲は大きいが、先んじて新たな知識に触れることが出来、それゆえ日本に対して恒常的に先生であり続け、日本人から「スーパーお上」扱いされて崇拝され、頼りにされるのである。

そのことが、日本人が、欧米の新たな文物(iPodとか)の登場に敏感に反応し、やたらと賞賛し持ち上げ、有り難がって、一生懸命その真似をする、ひたすら消化吸収のための学習をする、そして自分では何も考えず判断停止状態のまま、日本社会に欧米文物を機械的に直輸入する姿勢をもたらしていると言える。欧米の新たな文物を人より先んじて手に入れる、学習、習得することで、自分自身が先生になれて、まだ知らない人に向かってたっぷり威張れるのである。

日本の大学教授とかは、その感覚が美味しくてたまらないのだろう。何しろ、自分では何も冒険、失敗の危険を冒さずに、欧米産の新事実を、何も考えず、そのまま頭を下げてデッドコピーしたのを、ただ左から右へと横流しするだけで、権威者扱いされ、先生として尊敬されるのだから、止められないね。

先生を何かに付け求めたがるのは、失敗したくない、危険を冒したくないという退嬰性がその根底にあり、元をたどれば、何事も保身第一で行動する女性性の現れと言えるのではないだろうか。

日本人の先生頼りな性質は、日本人の根本に持つ女性的性質、女々しさと深い関係があるのかもしれない。

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2009年01月30日 11:43に投稿されたエントリーのページです。

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