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個人の抑圧、無私、滅私奉公、緊縛が好き

この国の人は、厳しい修行や鍛錬に重きを置く人が多いように思う。

学校の生徒や会社の社員とかの個人が好き勝手に動かないように、楽をしないように、なるべく厳しく律し、抑え込むことが良いと感じる、学校の教職員や、会社のマネージャーが多いのではないか。

個人の自由や意思は、なるべく抑圧し、個人が所属する団体(学校、会社、官庁・・・)やその支配者(同族会社なら創業者一族、官庁なら天皇)に、滅私奉公で己の全てを自己犠牲で捧げる(捧げさせる)のが望ましいという考え方があるのではないか。

欧米のように、個人を自立した粒子として独立させて生かしながら、自由に動き回るドライな粒子同士を組み合わせて、何か大きな組織を作る、仕事をするという考え方には立っていない。

個人は、所属団体に一体化して、完全に融けて無くなる、無私の状態になるのが、この国では望ましいとされ、そのために、個人を極力押さえつけ、抑圧する厳しさが好まれるのだと言える。

この国では、そうした個人を縛り上げる行為が、セックスの緊縛行為ではないが、縛る側も縛られる側もそれぞれサド・マゾな快感を覚え、病みつきになっている感じである。会社組織とかでの、上司部下とか、先輩後輩の上下関係の連鎖が、そのままサド-マゾ連鎖になって、個人の縛り合いに興じているのが、日本の団体、集団の姿である。

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2009年03月01日 07:07に投稿されたエントリーのページです。

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