保守的な日本男性の「背後霊」
日本の男性は、全般に保守的で冒険が嫌いである。
そのことは例えば、学校卒業後の就職先選択で、これから先どうなるか分からないベンチャーではなく、既に安定している、権威がある官庁や大企業をより優先して選択することとかに現れている。
本来、男性は、既存の秩序を破壊、変革し、オリジナルな新境地を打ち立てるのを得意とするはずなのであるが、日本の男性はそれとは逆のコースを進んで、そのことに疑問とか特に持っていないようである。
日本の男性は、日本の大企業とかで、研究開発で、他社にない新製品を作っているではないか、という話もあるが、実際のところ、彼らは、ライバル他社がいるので、ライバル他社との競争に勝って顧客を獲得するために仕方なく新しいことにチャレンジしている、せざるを得ないのだという方が正しいだろう。ライバルがいない寡占状態になれば、彼らも、役人のように、新しいことにチャレンジせずに既存の前例に沿って生きる行き方を選択することになる。
日本男性は、なぜ、こうした保守的で、前例、しきたりを重視する生き方を選択するのであろうか?
実際のところ、彼ら日本男性の背後に、そうした生き方を取るように仕向けている背後霊のような存在がいるのである。それは、男性の母親であったり、専業主婦の妻といった、日本女性である。
女性は全般に、自らの保身、安全に敏感であり、経済的に安定していて、新しいことに手を出して失敗するより、既存の秩序を守ってその枠内で生きることを指向する。
彼女たちは、男性に、そうした自らの保身、安全、経済的安定が確保されることを最優先にして要求する。一方、日本の男性は、強い母子一体感の中で育ってきている結果、母親や妻に対して、心理的に依存し、甘えているので、そうした彼女たちの要求に対して、反対することが心理的にできない。というか、知らず知らずのうちに、そうした生き方が望ましいのだと自分でも思うようになっているのである。
日本男性は、本来女性的な価値観である、既に確立された力を持つ中央官庁や大企業に就職して、その中で出世して、経済的に安定し豊かになるのがよいのだ、という価値観に知らず知らずのうちに深く感染し、既存の秩序、権威を破壊して新秩序を打ち立てるというチャレンジングな男性的生き方を回避するようになっているのである。
こうした、日本男性の保守性は、結局、日本男性が、女性的価値に支配されているためにそうなっているのだと言える。つまり、日本女性の社会的影響力の強さの現れであるということができる。
日本男性が本来の男性性を取り戻すには、こうした女性由来の保守性を克服することが求められる。
母親や妻の望む通りに、既存の秩序、権威に適応し、その枠内で生きるのか、既存秩序を破壊して、新境地を打ち立てる男性本来の方向に進むのか、日本男性は問われているのである。