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2008年07月27日

性別分業と男性社会、女性社会

世界的に著名な組織国際比較の著書(G.Hofstedeとかの)では、社会の性別分業の度合いの高さが、その社会が男性社会か、女性社会かの指標となると考えられており、性別分業の度合いが高いと男性社会、低いと女性社会という見解になっているようである。そして、性別分業の度合いが高い日本社会は、男らしい社会の筆頭に上げられているようである。

しかし、これは正しいのだろうか?

性別分業の度合いが高いとは、男性が働いて稼ぎ、女性は外で働かずに家事や育児に専念する度合いが強いことであり、そうした社会は、女性側からは「あなた稼ぐ人、私使う人」の社会であると思われる。

恐らく、そうした性別分業が女性が強くなるとなくなるという見解は、欧米のように家庭において女性の権限が弱く、例えば家の財布を管理する権限が男性(夫)側が占めていて、女性(妻)が月々決まった小額を男性(夫)からもらって家事をこなす社会にのみ当てはまるのではないだろうか。そうした家計管理とかの家庭内権限が女性が弱い場合、家庭は女性にとって居心地がよい場所だとはとても言えず、少しでも自分の経済的自由を得るために、家庭の外に出て働こうとし、それが性別分業がなくなる方向につながっているのだと言える。

一方、日本のように家庭における女性の権限が強く、例えば家の財布を管理する権限が女性(妻)側が占めていて、女性(妻)が月々決まった小額を男性(夫)に渡す社会では、家庭は女性にとって居心地がよい場所であり、「あなた稼ぐ人、私使う人」を地で行く、女性が好きなように家のお金を使い放題、使い道を決め放題の経済的自由を謳歌できる場所である。そのため、自分の経済的自由を得るために、自分からわざわざ外に働きに行く必要がなく、いつまでも実質的な家庭の奥まった主である専業主婦の「奥さん」でいたいと思う訳である。

そこで、日本では、夫の稼ぎがよほど悪くて妻も働きに出る必要がない限り、妻は外に出て働こうとせず、それが性別分業が温存される方向につながっているのだと言える。

この日本の場合、性別分業が強いことは、男性の強さとはほとんど関係なく、むしろ、女性の強さと関係があるように思われ、性別分業が強いことは、むしろ女性社会の現われであるように思われる。

したがって、性別分業が強い社会は男性社会だとする説は、日本社会を見る限りは誤りだと言えるのではないだろうか。

「日本=男社会」説は「日本=母社会」説に修正されるべき

日本の職場は、女性の管理職の割合が、他の国に比べて少なく、昇進とかも男性より遅れる等、男性中心で動く「男社会」だ、という社会学者の研究結果が、半ば社会の公式見解になっている。

しかし、そうした見解は、職場とかで表立って支配者みたいに威張って活躍する日本男性の背中に、男性の母親が、男性が子供の頃からぴったりと密着して貼り付いて、男性と心理的に一体化して、男性を自分の思いのままに操縦しているという事態を想定していない。

日本男性は、表立っては社会の支配者であるが、実はその男性の背中に更に真の支配者である男性の母が貼り付いて、男性を依存させ甘えさせると共に、男性にあれこれ指図、命令を下して支配している。そのため、日本社会で表立って活躍するのが男性でも、日本社会の性質は、相互の一体感、包含感、集団行動を重んじる母性的なものになる。こうした構図に、「日本=男社会」論者は、気づくことができていない。

その点、「日本=男社会」説は誤っており、「日本=母社会」説に修正されるべきである。