農耕社会は、優位に立つ女性による、劣位の男性に対する生産管理が行われている、「鵜飼型社会」である、といえる。男性は、魚(給料)を取ってくる鵜鳥である。一方、女性は、鵜鳥(男性)を、魚(給料)を取らせるために、船(家庭)から漁場(職場)へと追いやる形で、働かせつつ、鵜鳥(男性)が働いた成果である魚(給料)を、鵜鳥(男性)から、(給与袋まるごと召しあげる、ないし給与振込銀行通帳を我が物にする形で)強引に吐き出させて、取り上げて自分の管理下に置く、鵜匠の役を実行している。鵜鳥(男性)は、実質的には、鵜匠(女性)の下で一方的にこき使われる下級労働者である。
農耕社会におけるメンズリブ=本当の男性解放は、本来男性が生得的に持ち合わせていたが、ウェットな社会に適応する過程で失った、個人主義、自律・自立指向、非人間(メカ)指向など、ドライな生き方の回復にある、と考えられる。
上記のことが果たせぬまま、家事・育児などに参加しても、下級労働者として、女性にこき使われるだけの存在に成り果ててしまう。
育児に参加する場合も、次世代の子供に、自分の生得的に持つドライな行動様式を注入できる場を確保することが条件となる。
女性への職場開放は、従来日本女性が家庭で占めてきた権限を縮小する(女性が、外の仕事に忙しくなって、家庭内の管理に回す時間が少なくなる)。これは、従来、家庭内で影が薄かった日本の男性が、家庭運営の主導権を女性と対等に持てるようになるチャンスである。したがって、「鵜飼型社会」からの脱却のためにも、男性は、女性の「社会進出」に対して寛容になるメリットは、十分あると考えられる。