「家庭内管理職」論
日本社会は、政治家や官僚によって支配されている、とされる。
しかし、実際には、その官僚を支配するさらなる支配者がいる。
政治家・官僚の「生活管理者」「さらなる上司としての家庭内管理職」=主婦である。
日本の専業主婦=無給家事労働者論は、打破されるべきである。日本の女性は、家庭において、実際は、単なる労働者ではなく、家族成員の生活をコントロールする、家庭内管理職とでも言うべき地位についている。
日本の女性が男性の給料(労働の対価)を全て召し取って、自分の管理下に置く。その点、労働者たる男性を支配している。男性が、自分が被支配者の立場にあることに気づいてしまうと、男性が女性に対して反乱を起こしかねないので、一家の大黒柱とか、家父長とか言って、わざと崇め奉って、必死に、気づかれないように取り繕おうとする。
フェミニズムは、女性の弱い面、被害者の面にのみスポットを当てて騒ぎ立て、女性の強い面=既得権益(家計管理、子供の教育)については、知らんぷりするか、ことさらに無視し否定する。この女性の占める既得権益こそが、「家庭内管理職」としての側面なのである。
家庭内管理職の概念について整理すると、「家族員の生活を、管理・制御する者」と定義される。具体的には、
1)夫を管理する妻
2)子供を管理する母
として立ち現れる。
一方、欧米では、男性が、この家庭内管理職の地位についていると考えられる。すなわち、
日本 | 妻の監督・管理下で、給与稼ぎに従事する夫 |
欧米 | 夫の監督・管理下で、家事労働に従事する妻 |
という図式が成り立つ。
女性が家庭内管理職の地位についていることは、日本の家庭における実質的な女性優位を示す。
日本における家父長制は見かけだけと考えられる。
女性が、家父長制をやたらと持ち出すのは、妻と姑という同性同士の対立(権力闘争)が根本の問題である。
女性は、同性間の相互の一体感を重視する。
同性同士の結束が弱い(仲が悪い、バラバラである)と見られるのをいやがって、異性の夫(息子)のせいにする。
日本女性の勢力が、「内」=家庭内限定であった理由は、戦闘や戦争状態を前提とした社会である、武家社会の名残と考えられる。戦前の日本社会も、陸海軍の発言権の強い、「武家」社会の一種であったと考えられる。戦闘や戦争が多く起きる状態では、外回りに危険が多い。したがって、生殖資源として貴重品たる女性を外に出すわけには行かないからである。
女性の方が、生物学的に貴重であることを説明したページへのリンクです。
日本男性(例えば、九州男児)は、威張って、身の回りの細かいことを妻にやらせることが多い。彼らは、自分からは何もやらず、動こうとしない。その根拠は、「怠け者=上位者」理論として整理できる。すなわち、仕事をしないでのんびり怠けて過ごせる者が、そうでない者よりも上位にある、という考え方である。
しかし、これでは、妻がいないと、自分一人では何もできない。言わば、妻に生活上の生殺与奪を握られている。妻に対して頭が上がらず、結局、弱い立場に追い込まれることになる。
日本女性は、家庭に入ることを求められる。職場で昇進しにくい。肩たたきで会社を辞めざるを得ない。
それは、職場で無能だから、という訳ではない。
日本女性が、社会から家庭に入ることを要請されている本当の理由は、家庭内管理職、すなわち、職場で働く者の生活を管理する者の方が、社会的に重要で、地位も高いから、そちらになってもらいたい、ということなのではないか。
日本の男性は、本当は、女性に家庭に入ってもらわない方が幸せである。
日常の生活を管理されないで済む。気の進まない(賃金)労働や、組織での昇進競争へと追い立てられなくて済む。
しかし、女性への心理的依存があるから、入ってもらわずに済ますのは無理である。
性別分業は、女性差別とされている。
しかし、必ずしも、女性に不利な差別がされている訳ではない。
「女は内、男は外」という場合、「内」の方が、家庭内管理職の役割を持つことが出来、地位が高い(欧米とは逆)。
「内」の方が、苛酷な自然環境に直接さらされないで済み、生存条件としては良好である。
日本では、妻が母艦の役割を果たし、夫は、母艦から飛び立って、職場で労働し、給与と共に帰って来る飛行機である。
母艦は、飛行機に出発や給与渡しなどの指示を出し、管理する。
母艦は永続的な場なのに対して、飛行機に乗るのは、一時的である。
職場は、一時的な滞留の場であり、最終的には母艦に帰らなければならない。
最終的な居場所である母艦たる家庭を支配する女性こそが、社会の強者である。
日本の父は、子育てに関わろうとしないと非難される。しかし、日本の父は、例え子育てに参加しても、補助労働者としてこき使われるだけであり、子育ての主導権は握れない。主導権は、女性=母の手にある。日本の父親には、子育ての権限がもともとなく、子育てから疎外された存在である。家事についても同様で、決定権が妻の側にある以上、夫は補助労働力に過ぎない。夫が家事にやる気を出さないのもうなずける。一方、欧米の父親が、家事や子育てに積極的に関わるのは、彼が、家庭内管理職として、家事や子育ての内容について、最終的な決定権を持っているからだと考えられる。次に何をすべきか決定する権限を持っていれば、当然、やる気が起きるであろう。
専業主婦は、社会的地位が低いと見られがちである。しかし、その様相は、欧米と日本とで大きく異なると考えられる。
欧米の主婦は、夫の管理下で下請け的に働く、家事労働者に過ぎず、その地位は、本当に低い。
日本の主婦は、もちろん、家事労働者の側面もあるが、実際には、家庭内管理職として君臨し、管理される夫よりも常に1ランク上に位置する。日本の主婦は、家族の生活を、隅々まで、制御・規制して、収入管理・分配権限、子供の教育支配権限を一手に握る。家族の健康な生活を守る、生活管理者、監督としての役割を担っている。
日本家庭では、買い物の順番として、子供のもの→妻のもの→(余ったら)夫のものという優先順位が付いていると言われる。妻のものが夫のものより優先される点に、女性支配の現実が見える。