1.専業主婦を求める男性
仕事で家を離れる女性は、家庭内での発言力・支配力が低下する。男性にとっては本来喜ばしいことのはずなのに、妻には家にいて欲しいとする男性が多いのはなぜか?女性への依頼心がそうさせる。女性を、母親がわりにして頼ろうとする。本来ドライであるべき男性の中に、ウェットさや女々しさが蔓延している。
女性は、伝統的な性役割からの解放を唱えている。伝統的な性役割では、自分たちの支配力が強いにも関わらずである。その理由は、ライフコースに従って変化する。
(1)結婚してからしばらくの間は、特に育児の面で、負わされる負担が大きい。とても忙しい。子供の都合に合わせて、自分のしたいことを我慢しなければならない。家事の面でも、家電製品の導入など省力化が進んでいない頃は、大変だった。
この場合、女性が
(a)家政面での主導権を引き続き維持しつつ、握りつつ、補助労働力として、男性に期待するのか?
(b)家政面での主導権も、夫婦で分担する。真の男女平等を目指すのか?
によって、男性の取るべき態度が変わってくる。補助労働力としてこき使われるのは、拒否すべきである。できるだけ、男女平等の主導権分配を行うべきである。
(2)結婚して大分経って、子育てが一段落し、家電製品の導入で家事の省力化が進むと、ひまになり、生きがいがなくなる。子育て後は、やりがいがなく、時間の空白ができやすい。専業主婦が価値ある職業と映らなくなる。専業主婦以外の職業をメインにしてみたくなる。男性の占める職域に進出する機会が欲しくなる。
日本の会社・官庁は、もともと、女性向きと言えるウェットな雰囲気の職場なので、女性は、本来、結構有利なはずである。
日本の組織のウェットさならではの問題点は、
同質性や閉鎖性が高く、最初に白紙状態で入った者=新卒者にのみ心を許し、組織風土を覚え込ませる(白装束を着る嫁入りと同じ)。組織の外部に一度去った者や他の組織に属していた者が、もう一度入り込むのが難しい。女性の場合、子育てに忙しく、就業にブランクができてしまうので、いったん組織を去る必要があるが、組織の閉鎖性は、これと矛盾する。育児休業制度は、組織に連続雇用してもらうことを前提としたものであり、組織内でのキャリアアップを目指すならば、不十分でも、耐えなければいけないのが現状である。
男性は、自分自身を解放したければ、女性の職場での中途採用への道を開くべきである。
ちなみに、妻が働きに出るのをいやがる夫は、
(1)自分の稼ぎが少ない、と周囲に映るのが、自分の能力を否定されるようで面白くない。
(2)妻に、自分の家を守っていてもらわないと、不安である。
(3)自分が帰宅したときに、温かく出迎えてほしい。
といった欲求を持っている。
しかし、それでは、妻に、家計管理や子供の教育の権限を、いつまでも握られ続けて、被支配者の立場に甘んじることになる。
自分が家を空ける時間が長いため、家族に対する影響力が少なくなる。
子供たちから、じゃまに扱われ、疎外される。
2.女性の、職場での性差別
女性に対する職場での性差別の背景には、女性に家庭にとどまってもらいたいという、「専業主婦願望」とも言うべき、男性側の欲求があると考えられる。
現状を変動させようとする側(女性)は、それなりの、変動しない方向への反発力を受ける。
女性が職場進出してしまうと、男性は、家庭のみならず、職場でも、女性に支配されかねない。男性は、自分たちの居場所がなくなるのを恐れて、女性の進出に反発する。
日本の男性は、現状では、自分の存在理由が、給与を稼ぐ、収入をもたらすことにのみある(収入の管理、使用用途別の予算配分などは、女性の手に握られてしまっている)。女性が進出すると、男性は、自分の存在理由を失ってしまう。
職場での性差別は、男尊女卑で、女を見下して、組織内の重要な地位につかせようとしない姿勢ももちろんある(それ自身、日本社会において女性の方が力が強いという実勢を反映しない、空虚な態度である)。
しかし、性差別は、実際のところ、「家庭内管理職待望論」とも呼べる、女性に家庭に入ってもらって自分の事を、自分の母親のように管理してもらわないと不安である、それには、女性に家庭に手っとり早く入ってもらうための方策として、職場に残ってもいいことはないよと女性に示せばよい、という考えによって引き起こされている面が大きい。
そういう点では、職場での性差別は、日本男性の、女性を母親代わりにして依存しようとする心と表裏一体のものであり、性差別をなくすには、男性の女性への依頼心をなくし、自立した存在にさせることが必要である。女性側でも、男性(自分の息子など)から自分への依存心をなくし生活面で自立させることが、女性自身の職場への進出を早めることにもっと気づくべきである。そういう点では、女性の職場進出の進展の条件は、日本の家庭における女性(母性)による男性支配を終わらせること=従来の母性的主婦観の解体でもある、と言える。