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日本の家庭を父権化する計画について



従来、母性の支配下にある日本の家庭は、男性の立場からは、少しでも父親の力を取り戻し、父権化、家父長制化することが必要である。



そのためには、まず、最近の、社会進出を優先して、子育てに母性が不可欠とする母性愛神話を打破しよう、子育てを放棄しようとする女性側の動きを利用することが望ましい。



つまり、女性学、フェミニズムによる育児回避・放棄運動に乗じて、「母親たちが育てないならば、父親が育児を一手に引き受けよう」「父性主導の子育てを実現させよう」と運動するのである。



3歳児までの、子供の人格の基盤が固まる時期を、母性を排除し、父性側で押さえる。父性の介入を最大限にして、母性による子供の独占を阻止する。



従来の日本の子供は、母親と癒着した、「母性の漬け物」と化している。これを改め、子供から母性分を「脱水」し、代わりに、「父性の漬け物」とするのである。



そのためには、欧米の父権制(家父長制)社会を手本にして、母性偏重の日本家庭に父性の風を持ち込むことが重要である。



父親主導のドライな雰囲気の子育てを行う。例えば、川の字添い寝を廃止し、母親と子供の密着を阻止するため、子供を、早期に個室に入れる。子供が、一人で自分自身を律することが早い段階で可能になるようにする。そうすることで、子供もドライな父性的な風を身につけることができ、父親主導の子育てが可能となる。



そうすることで、子供は、父親になつく、父親を頼りにするようになり、今度は、逆に、母親の方が子供たちから疎外される感じになるであろう。そうすればしめたものである。家庭の中心に、父親が位置するようになる日は近い。



父権制における真の父親は、戦前日本の父親のように、家庭の中で、ワンマンの暴君、専制君主のように、わがままな大きな子供のように振る舞うことはない。父権制の父親は、ドライで合理性を持った、自由で個人主義で自律的で明確な自己主張を持った、必要な時には危険に直面し、きちんと責任を取り、探検好きで、進取の気性に富んだ、ドライな存在である。



真の父親は、レディーファーストで、表面的には母親を立てるが、裏では、彼女を愛人兼家政婦として、その上に立つ形で支配する。もちろん家計も父親が管理し、母親に、家事労働に必要な小遣いを渡すのである。



日本家庭において、こうした父権制化を実現するためには、何よりも、日本の父親たちが、従来の母親べったりのウェットな存在から脱却して、欧米並みのドライな考え方を取るようになる必要がある。そのために、父親がドライな態度を取れるように訓練する、教育プログラムを、欧米における父親の意見を参考にしながら、日本で開設する必要がある。



特に、キリスト教系の学校では、欧米人の宣教師が、父権的なドライな接し方で、子供や児童に接するので、日本の男子生徒~父親たちは、それを参考にして、早くから父性的な振る舞いを身につけるようにすることが考えられる。



父権モデルは、欧米が白人のため、日本と人種的に離れていて問題だというのであれば、欧米同様遊牧・牧畜民であるモンゴルでもよい。




日本の家庭を、女性、母性の支配の場でなくすには、家庭を「妻の王国」「母の王国」として、そこに君臨する妻や母たちを、家庭の外に出して、家庭の中での女性、母性の支配力、影響力をできるだけ減らし、その代わりに父性をどんどん注入することで、日本の家庭を女性、母性支配の場から、男性、父性支配の場へと転換させる必要がある。



その意味で、日本において、女性を、家庭の外の、会社などに社会進出させることは、社会の根幹をなす家庭において、男性の影響力をより増やす上で、有効かつ重要な戦略である。



日本女性の家庭における支配力を弱めるため、日本女性が家庭を離れて職場社会進出するのを促進することこそが、現状の日本男性の社会的地位向上のために重要なのである。



現状では、日本の男性は、女性に社会進出されて、給料を稼がれると、自分の経済的な甲斐性、女性を経済的に養う力を否定されるように感じて、女性の社会進出に反対することが多い。



しかし、重要なのは、誰が稼ぐかではなく、誰が財政の紐を握るかなのである。いくら、稼いできても、その稼ぎを妻に取り上げられて、妻から小遣いを渡される「ワンコイン亭主」でいるようでは何もならない。男性が「財布の紐を握る」「財布の紐を女性から奪い取る」ことこそが、日本における家庭ひいては社会全体の父権化、家父長制化(男性による支配の実現)にとって本質的である。その点、日本の男性は、誰が稼いだかには、これまでのようにはこだわらず、むしろ、誰が(家族が)稼いだ金を管理するか、誰が家計を支配するかという点にこだわるべきなのである。



子供の教育についても同様である。子供の教育を母親、妻任せにしていると、子供は母親の言うことを聞いて、父親の影が薄くなる。これが、日本において、父性の欠如した次世代の子供を繰り返し再生産することにつながっており、家庭や社会における父権の強化のために、父親が子供の教育を主導する形へと改める必要がある。その際、父親は、子供を母親から切り離して独立した自律的存在とすることに心を砕くべきである。そうすることで、子供に対する(子供を包含し一体化し、強い紐帯を子供との間で維持しようとする)母親の影響力を弱めることができる。



女性を社会進出させて、家庭内における影響力を低下させ、その間隙を突いて、家庭の中枢をなす機能(家計管理、子供の教育)を奪取することこそが、日本の男性にとって必要である。

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2007年05月22日 22:47に投稿されたエントリーのページです。

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